尾上 菊十郎 (4代目) オノエ キクジュウロウ

本名
熊野恵一
屋号
音羽屋
定紋
乱菊
生没年月日
昭和7(1932)年08月21日〜令和2(2020)年09月24日
出身
新潟県

プロフィール

『曽我綉侠客御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』で星影土右衛門の尻につき、空威張りする悪侍、『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』「浜松屋見世先」で店内を窺う狼の悪次郎にみられるような小悪党も悪くはなかったが、その腕を存分に発揮したのは江戸の市井の働く男だった。

『梅雨小袖昔八丈』髪結新三の鰹売りは、花道から「カッツォ、カッツォ」と声を張り、鉢巻に半纏姿で登場し、初夏の空気を客席に振りまいてゆく。また『暗闇の丑松』では腹にさらしを巻き、下帯の半裸の姿で湯屋の釜場で大活躍をみせて、重すぎる芝居の空気から一瞬だけ観客の気分を解きほぐす。渡した板の上をトントントンと飛び移ったり、干してある湯桶を積み直したりと、三助の生態を鮮やかにこなしてみせた。

そして忘れてはならないのが立師(たてし)としての役割だ。定評のある菊五郎劇団の立廻りを、名人坂東八重之助亡きあと一手に引き受けた。新しい型を工夫し見事な集団の立廻りを作り上げ、劇団の伝統を守った。

舞台も素顔も若々しかったが、六代目尾上菊五郎晩年の弟子の経歴は本人申告の年令とはかなり差がある。しかし若さはどうしても譲れないというのは、役者らしい稚気で好もしかった。

【小宮暁子】

経歴

芸歴

▼六代目尾上菊五郎に入門し、昭和23年4月新橋演舞場『助六曲輪菊(すけろくくるわのももよぐさ)』の廓の若い者で尾上幸一を名のり初舞台。33年1月新橋演舞場『坂崎出羽守』の本多の家臣で尾上梅五郎と改名。43年2月歌舞伎座『乗合船惠方萬歳』の箱廻し栄吉と『京鹿子娘道成寺』の所化仁源坊で四代目尾上菊十郎を襲名し名題昇進。47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第二次認定を受ける。

受賞

▼昭和46年3月『青砥稿花紅彩画』の捕手で、54年4月『御摂勧進帳』の梢権藤太で、56年12月『菅原伝授手習鑑』車引の雑式で、58年4月『恋飛脚大和往来』の田舎大尽猪山で、63年1月『御摂勧進帳』の出羽運藤太で国立劇場奨励賞。50年3月『児雷也豪傑譚話』の大蟇の演技で、平成14年1月『小春穏沖津白浪(こはるなぎおきつしらなみ)』の立師と百姓稲作で国立劇場特別賞。昭和53年8月歌舞伎会公演『勢獅子』の鳶頭政吉で国立劇場努力賞。平成5年1月『人情噺文七元結』の若い者藤助で、6年4月『暗闇の丑松』の母お熊で、7年3月『次郎吉懺悔』の野田の伝六で国立劇場優秀賞。18年第27回松尾芸能賞優秀賞。23年文化庁長官表彰。27年第20回日本俳優協会賞特別賞、ほか歌舞伎座賞、松竹会長賞など。

舞台写真

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