中村 仲太郎 (初代) ナカムラ ナカタロウ
- 本名
- 鴨志田文雄
- 屋号
- 中村屋
- 生没年月日
- 昭和11(1936)年03月27日〜平成28(2016)年12月10日
- 出身
- 東京・町田町
プロフィール
がっしりと頑丈そうな体躯に、いつも不機嫌そうな伏し目がちな顔。馬の脚では第一人者だった。馬は歌舞伎には不可欠なのに、筋書に名前が出ない。だから1996(平成8)年1月の歌舞伎座で『矢の根』と『松浦の太鼓』の馬の役で仲太郎らの名が出たのは前代未聞だった。1936(昭和11)年に町田で生まれ、15歳で十七代目中村勘三郎に入門した経緯はわからない。初舞台は1951(昭和26)年だというが筋書の初出は1952(昭和27)年8月の新橋演舞場で、やくざの子分と医者の下男だった。馬に入ったのは1955(昭和30)年頃からだという。1972(昭和47)年のNHKラジオ「趣味の手帳」のインタビューが『歌舞伎幕間ばなし』に収載されている(文化出版局、1978(昭和53)年刊)。馬の脚の失敗談を訊かれて「失敗は絶対に許されないのです」ときっぱり。その重責を果たす覚悟と自負があったのだろう。舞台裏での仕掛けの操作や鳥の声、赤子笛などの効果音も完璧だった。芝居を知らなければ出来ない仕事である。寡黙で自らを語ろうとせず、数々の表彰を断りつづけたが、2010(平成12)年の第16回日本俳優協会賞功労賞は十八代目勘三郎の説得でようやく受けた。勘三郎が幼いころ、セリ穴から奈落に落ちかけたとき、とっさに手を伸ばして一命を救ってくれた恩人だった。楽屋頭取としても信頼され、晩年は家が遠いので歌舞伎座の近くのホテルから通っていた。気難しく頑固で友だち付き合いする仲間もいなかったが落語や浪曲など寄席芸に詳しく、その話題になると珍しく饒舌になったのは、やはり芸が好きだったのだろう。
【浅原恒男】
経歴
芸歴
十七代目中村勘三郎に入門し、昭和26年6月御園座『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の諸士で初舞台。中村仲太郎の名で、27年8月新橋演舞場『東海道中膝栗毛』の子分ほかで出演した記録がある。
受賞
昭和46年9月『東海道四谷怪談』の仕掛物の巧みな操作で国立劇場奨励賞。平成2年11月『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』陣門・組打の馬の演技で歌舞伎座奨励賞。22年第16回日本俳優協会功労賞。