市川 高麗蔵 (10代目) イチカワ コマゾウ
- 本名
- 比毛慶(比毛慶三と名乗った時期あり)
- 俳名・舞踊名
- 舞踊名は藤間勘三
- 屋号
- 高麗屋
- 定紋
- 三桝、四ツ花菱
- 生没年月日
- 大正14(1925)年11月27日〜昭和56(1981)年03月19日
- 出身
- 東京
プロフィール
三代目坂東秀調の二男で、子供のころは弟光伸(九代目坂東三津五郎)と共に名子役として知られている。昭和20年代は初代中村吉右衛門一座に所属し、二代目中村梅枝(のちの四代目時蔵)、六代目澤村源平(のちの九代目宗十郎)とともに一座の花形として活躍。とくに八代目松本幸四郎(初代白鸚)に兄事し、高麗屋で大事な高麗蔵の名跡を襲いでいる。テレビ放送の初期には『鞍馬天狗』に主演して人気があった。
女形、立役どちらも可能な優しげな容姿に恵まれていたので、若衆方が良かった。『佐々木高綱』の佐々木小太郎の凛々しさや『修禅寺物語』の春彦の優しさを好演。『河内山』の宮崎数馬は仁(にん)のよさで、品があって佳いものだった。病を得て数年のブランクの後、かつての凛々しい二枚目ぶりを発揮することなく逝ったが、その長男、現・坂東秀調に容姿と舞台の行儀のよさがしっかり受継がれている。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
三代目坂東秀調の二男で、兄に坂東又太郎(廃業)、弟に九代目坂東三津五郎がいる。昭和2年九州巡業中に『時雨(しぐれ)の炬燵(こたつ)』の勘太郎で初代坂東慶三を名乗り初舞台。昭和29年9月歌舞伎座『連獅子』で八代目松本幸四郎(初代白鸚)の親獅子に子獅子を務め、十代目市川高麗蔵を襲名。昭和36年4月幸四郎に従って東宝へ移籍。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和46年5月よりフリーとなる。
受賞
昭和29年7月歌舞伎座『願糸縁苧環』お三輪・橘姫で大谷社長賞。同年11月歌舞伎座『道行詞の甘替』斎世の君で大谷社長賞。