尾上 新七 (5代目) オノエ シンシチ

本名
牧野五郎四郎
俳名・舞踊名
俳名は朝声
屋号
南部屋
定紋
四ツ輪、ふくら雀
生没年月日
明治31(1898)年01月25日〜昭和55(1980)年03月22日
出身
東京

プロフィール

六代目尾上菊五郎の名番頭だった牧野五郎三郎の息子。子役時代、十五代目市村羽左衛門の門下から六代目の門下に移った。菊五郎に若い頃から師事しただけあって、この人が世話物のわきにチラリと出るだけで、舞台の色が一瞬で江戸の昔に帰るような存在感があった。『四千両小判梅葉』のぐでんの伝次など、酔っぱらいの中間(ちゅうげん)そのままの、ちっぽけな市井に生きる人間の姿がそこにあった。『梅雨小袖昔八丈』でヤクザ者の新三が買った初鰹の頭を有難そうにもらって喜ぶ合長屋の権兵衛も、いかにも江戸の下町の長屋にいそうな貧しいが人のいい老人だった。どんな芝居でも、新七の顔を見るだけでホッと安心させられる庶民の温かさに魅力があった。晩年まで菊五郎劇団で腕利きのわき役として重用され、『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』のそば屋の亭主や、『天竺徳兵衛』の異国噺にからむ庄屋なども、六代目菊五郎が演じたときと同じ役廻りでサラリと演じて主役を引き立てていた。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

明治34年十五代目市村羽左衛門門下となり、宮戸座『爼板の長兵衛』の長松で坂東菖蒲を名乗り初舞台。明治39年8月六代目尾上菊五郎門下に移り尾上五郎と改名。大正9年5月市村座『男伊達芝居賑』の男伊達田浦の富士松で五代目尾上新七を襲名、名題昇進。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

受賞

昭和53年記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定。昭和53年度永年勤続功労者表彰。昭和54年1月『廓文章』の阿波の大尽で国立劇場特別賞。同年勲五等双光旭日章。

舞台写真