中村 千彌 (2代目) ナカムラ センヤ
- 本名
- 東濱保
- 俳名・舞踊名
- 俳名は雀遊
- 屋号
- 中村屋
- 定紋
- 丸に銀杏、木瓜
- 生没年月日
- 昭和6(1931)年02月07日〜平成22(2010)年03月23日
- 出身
- 長崎県
プロフィール
長崎県島原出身。家は建築請負業だったが、小さい頃から踊りが好きで、四代目中村もしほ時代の十七代目中村勘三郎に入門し、中村蝶吉、中村仲之丞をへて昭和30年、名題昇進とともに元禄時代の名女方の名跡である千弥を襲名。紅長役の勘三郎をはじめ、六代目中村歌右衛門、八代目松本幸四郎(初代白鸚)、八代目澤村宗十郎ら錚々たる顔触れが揃う『松竹梅湯島掛額(お土砂)』で、同時昇進の中村吉之助(のちに廃業)と1日替りでお七を勤めるという、幸せな名題披露をした。以来、中村屋の名脇役の1人として活躍するかたわら、十八代目勘三郎や現・中村勘九郎、現・中村七之助の幼年期には養育係を勤め、師家の芸の伝承にも大きな貢献を果たした。
小柄な身体、澄んだ声、清純な持ち味で、幾つになっても娘役の似合った人である。『一本刀土俵入』の子守娘が生涯の持ち役となったのは有名。ほかにも、新作物で北條秀司や川口松太郎といった作者から何度も賞を貰っているし、晩年はコクーン歌舞伎で『東海道四谷怪談』の後家お弓や『夏祭浪花鑑』のおつぎを好演するなど、何でもこなせる腕を持っていたが、個性的な役作りや芸域の広さを誇るタイプではなく、自分の領分をしっかり守る人だった。それだけに、時代物の並びの腰元や、『仮名手本忠臣蔵』「七段目」の仲居、『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の芸者、『文七元結』の女郎などに出ると、それだけで大歌舞伎の格調が備わり、清澄な空気が舞台に流れた。それこそがこの人の真価だったと思う。十八代目勘三郎の『娘道成寺』などの後見も見事だった。
【石橋健一郎】
経歴
芸歴
四代目中村もしほ(十七代目中村勘三郎)に師事し、昭和23年9月新橋演舞場『法界坊』の参拝の娘で中村蝶吉を名のり初舞台。昭和26年中村仲之丞と改名。昭和 30年9月歌舞伎座『松竹梅湯島掛額(しょうちくばいゆしまのかけがく)』の八百屋お七で二代目中村千彌を襲名し、名題昇進。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。昭和50年6月準幹部昇進。
受賞
平成17年第11回日本俳優協会賞功労賞、ほか受賞多数。