尾上 多賀蔵 (3代目) オノエ タガゾウ
- 本名
- 稲村仙太郎
- 屋号
- 音羽屋
- 定紋
- 重ね扇の中に賀、菊鶴
- 生没年月日
- 明治34(1901)年02月21日〜平成3(1991)年04月18日
- 出身
- 東京・浅草
プロフィール
市川鬼丸(きがん)時代からの三代目尾上多賀之丞門下で、師匠とともに六代目尾上菊五郎一座に入った。ベテランの域になった頃には劇団の脇の中心的存在だった。小柄だが目つきが鋭く、ちょっと含み声の早口がいかにも喧嘩っ早い江戸っ子そのものだった。『暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)』の湯屋の三助はぴったりの当り役で、威勢のよさは晩年まで変らなかった。『髪結新三』の魚売りもそうである、「オヤァヵタァ」と呼びかけ、パァッと鰹を片身におろす手際のよさ。江戸の5月の風が舞台を吹きぬける感があった。
【秋山勝彦】
経歴
芸歴
明治43年宮戸座『春雨傘』の禿(かむろ)で本名稲村仙太郎で初舞台。大正2年市川鬼丸門下となり、市川鬼童丸と改名。大正8年市川鬼蔦と改名。師鬼丸が六代目尾上菊五郎の相手役に迎えられたとき同行、鬼丸が三代目尾上多賀之丞を襲名した昭和2年6月新橋演舞場で三代目尾上多賀蔵を襲名。昭和3年5月新橋演舞場『廓釣針』にて名題昇進。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。
受賞
昭和56年10月日本俳優協会功労者表彰。昭和61年記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に指定。昭和62年勲五等双光旭日章。平成元年2月永年にわたる菊五郎劇団への功績に対して歌舞伎座松竹社長賞。