坂東 飛鶴 (2代目) バンドウ ヒカク
- 本名
- 斎藤兼芳
- 屋号
- 音羽屋
- 定紋
- 鶴の丸、八重かたばみ
- 生没年月日
- 明治21(1888)年01月05日〜昭和36(1961)年03月27日
- 出身
- 東京・本郷
プロフィール
坂田萩之丞時代は東海・中部地方で知らない者はないといわれたほどの人気俳優だったという。大歌舞伎に移ってからは、六代目坂東彦三郎門下だったため六代目尾上菊五郎一座に属し、戦後は菊五郎劇団の一員として活躍した。当初は劇団に二代目市川照蔵・三代目尾上菊十郎らの名脇役がいたため、目立つ役は少かったが、次第に重用されるようになり、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の黒沢官蔵、『四千両小判梅葉』の田舎役者万九郎などで好演、東横ホールに劇団の若手俳優が出演すると、多彩な芸歴の中で得た型ものに対する豊富な知識を生かし、『梶原平三誉石切』の六郎太夫、『黒手組助六』の白酒売、『直侍』の丈賀、『魚屋宗五郎』の太兵衛などを務め、若手の補導役を演じている。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
初代中村芝鶴(五代目中村伝九郎)に入門、明治29年7月市村座『絵本太功記』の孫市一子重若で中村芝駒を名乗り初舞台。13歳で坂田半五郎の養子となり、坂田萩之丞を名乗る。昭和2年六代目坂東彦三郎に入門、坂東鶴升を名乗る。昭和5年5月新橋演舞場で坂東飛鶴を襲名、名題昇進。
☆初舞台の役、名題昇進の年月に異説あり。