中村 小山三 (2代目) ナカムラ コサンザ

本名
福井貞雄
屋号
中村屋
定紋
角切銀杏
生没年月日
大正9(1920)年08月20日〜平成27(2015)年04月06日
出身
東京

プロフィール

4歳にして当時15歳の十七代目中村勘三郎に入門、師の東宝入りにもそれに続く大阪での修行時代にも、戦時中の疎開先にもただ1人付き従い、九十翁となった晩年には十八代目の死をも送ったという、勘三郎2代にわたる股肱之臣(ここうのしん)である。大正9(1920)年8月20日という四代目中村雀右衛門と同年同日の生まれで、幼年時代は遊び仲間だったという。

骨の髄からの歌舞伎役者。前名が「しほみ」だが、十七代目の前名「もしほ」をやろうというのを断って「しほみ」と自ら名乗ったという気骨が、その舞台ぶりにも生きざまにも窺われた。当たり役が10種とも30種ともいわれたのは、どんな小さな役にも創意工夫を重ねた芸熱心に裏打ちされた賜物である。役者魂といっても同じだが、同時にそれが、舞台の上の個性にも愛嬌にも魅力にも、ひいては人気にも通じていたところに小山三1代の真骨頂があった。

役の工夫といっても、小山三のつとめるような役でといえば、たとえば『籠釣瓶』の大詰の「仕返し」で、燭台を持って2階に上がってきた女中のお咲が、次郎左衛門に切られて倒れる時に胸元から赤い帯揚げがはらりと垂れるのが血のように見える工夫とか、柱にすがるように倒れ込む向きとか、どれだけの観客が気がつくかと思うようなものだが、そうした「企業秘密」をたくさん持っていた。

若い時には、芝居を見るにも芯の役ばかり見ていた、勉強会もやったものだが、やがて自分にはそういう役はこないのだとわかってきてから、後見の勉強を始めたという。針と糸、安全ピンとハサミが必須の持ち物という、後見には後見の「芸談」がある。踊りには限らない。『四谷怪談』の「三角屋敷」の後見について聞いたことがあるが、その蘊蓄(うんちく)は聞くだに飽きなかった。

小山三の最高傑作はと問われるなら、何といっても『四谷怪談』のおいろだろう。序幕「額堂」に小山三のおいろが登場しただけで、南北の世界の人物が、まさにそこに生きて現前するかのようだった。

【上村以和於】

経歴

芸歴

大正9年生まれ。幼くして三代目中村米吉(十七代目中村勘三郎)に入門。大正15年10月本郷座『忠臣講釈』の重太郎の一子で中村小米を名のり初舞台。中村蝶吉を経て、昭和23年6月東京劇場『本蔵下屋敷』のこしもとで中村しほみと改め名題昇進。34年4月歌舞伎座『昔噺桃太郎』のお雉ほかで二代目中村小山三を襲名。40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

受賞

昭和44年9月『蔦紅葉宇都谷峠』の女中おいねで、46年9月『東海道四谷怪談』の宅悦女房おいろで国立劇場奨励賞。53年4月『奥州安達原』の片岡孝太郎(お君役)の演技指導と後見で国立劇場特別賞。平成9年第3回日本俳優協会賞功労賞。18年文化庁長官表彰。26年第35回松尾芸能賞功労賞。

著書・参考資料

平成25年『小山三ひとり語り』(中村小山三著、演劇出版社)。平成26年10月19日放送のフジテレビ「ザ・ノンフィクション」で特集される。

舞台写真

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