山崎 権一 (初代) ヤマザキ ゴンイチ
- 本名
- 尾上芳勝
- 屋号
- 山崎屋
- 生没年月日
- 昭和4(1929)年02月22日〜平成23(2011)年01月25日
- 出身
- 東京・芝明舟町
プロフィール
菊五郎劇団にあって、貴重な脇役として舞台に欠かせない存在だった。小柄で痩身、鼻の大きな役者顔に、少し鼻にかかった震え声が特徴。世話物などで市井の実直な町人役をさりげなく演じ、江戸の生活感を漂わせた。アクの強さや嫌味とは無縁で、行儀の良さとともに温かさ、人情味も感じられた。それは、不器用だが実直に日々を生きる等身大の江戸庶民そのものであった。晩年の当たり役で思い出すのは『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』の蕎麦屋亭主仁八。この芝居では長年、寮番が持ち役であったが、劇団の先輩俳優の後を継ぎ、現・尾上菊五郎が直次郎を勤めるときは必ずといっていいほど仁八を演じていた。深々と雪が降り積もる入谷村のわびしいそば屋で、早じまいにしようという女房に、上とくいの按摩、丈賀さんがまだ来ないと言って待つ亭主の律儀さはこの人ならではの持ち味。『勧進帳』では番卒軍内が持ち役で、そのほか『浜松屋』の番頭与九郎や『源氏店』の番頭藤八のおかしみ、老け役では『仮名手本忠臣蔵』「五段目」の与市兵衛、『寺子屋』の涎くりの父吾作、『鳥辺山心中』のお染父与兵衛など。『幡随長兵衛』の金平問答や『お土砂』に出てくる上人役の飄々とした味わいも忘れられない。女形は少なかったが、『仮名手本忠臣蔵』「六段目」のおかや、『助六』の遣り手などを勤めたこともあった。さりげなさの中に江戸の郷愁を感じさせる、そんな得難い味を持った名脇役であった。
【石山俊彦】
経歴
芸歴
昭和17年二代目河原崎権十郎に入門、同年8月巡業先の盛岡劇場で『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の鶴千代で山崎宝を名のり初舞台。30年、師の歿後、三代目権十郎門下となる。34年3月歌舞伎座『平家物語』の左近将監盛佐で名題昇進。42年1月東横ホール『侠客御所五郎蔵』の子分秩父重蔵、『江戸育お祭佐七』のすだれの芳松ほかで山崎権一と改名。47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。
受賞
昭和46年3月『京鹿子娘道成寺』の所化ほかで国立劇場奨励賞。55年3月『京鹿子娘道成寺』の所化で国立劇場特別賞。平成7年12月『梅照葉錦伊達織』の花売佐五兵衛で、15年6月『与話情浮名横櫛』の番頭藤八で国立劇場優秀賞。8年第2回日本俳優協会賞。