市川 左升 (3代目) イチカワ サショウ

本名
中村清春
屋号
高島屋
定紋
中蔭鬼蔦
生没年月日
大正15(1926)年01月02日〜平成23(2011)年02月13日
出身
長野県

プロフィール

 尾上菊五郎劇団で女形一筋。初代市川女之助、三代目中村梅花に教わった脇役の心得。例えば、左升は居並びの腰元の芯で、短い台詞でも耳に深く残る役者であった。ご当人は「悪声だ」と思ったようだが、とても綺麗でハスキーな声が実に心地良かった。どんな役も行儀、品がいいので、仕える姫君が際立つ、御殿の空気が分かってくる、そんな名脇役であった。歌舞伎座では『河内山』や『義経千本桜』の腰元、歌舞伎座さよなら公演で『籠釣瓶』の遣手おつう、『菅原伝授手習鑑』「筆法伝授」の腰元、国立劇場では平成22年12月の『仮名手本忠臣蔵』「七段目」の仲居おうめが最後の役だった。そのように、幕開きの御殿女中や新造、仲居といった役々で晩年は益々、古風で味のある演技で楽しませてくれた。

 若き日、故郷の信州・伊那谷で小芝居を見て芝居心が芽生えたという。三代目市川左團次の自宅にまで出掛けて弟子入りを懇願。以来、当代左團次、その息子の市川男女蔵、孫の市川男寅と、高島屋4代に渡って忠実に仕え、師匠番でもあった。風姿といえば、ほっそりとして、愛嬌のある小さめな顔立ち。『助六』では揚巻付番頭新造巻絹や傾城八重衣、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』でお幸、あるいは晩年にも夜鷹なども演じたが、どれもが清楚な感じが伝わり、温厚篤実な人柄が浮き出た。男女蔵によれば「出来る出来ないというのではなく『これだけは忘れないで下さい、覚えておいて下さいね』といった、優しい言い方」の教え方だったという。新聞のさり気ない訃報が左升に相応しく思えた。

【大島幸久】

経歴

芸歴

昭和22年4月三代目市川左團次に入門、三越劇場『どんどろ』の町娘で市川竜之助を名のり初舞台。昭和29年10月歌舞伎座『江島生島』の中老沖津ほかで三代目市川滝之丞を襲名し、名題昇進。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。昭和54年2月歌舞伎座『毛抜』の乳人若菜ほかで三代目市川左升を襲名。

受賞

平成9年第16回眞山青果賞助演賞、菊五郎劇団賞、村上元三賞。平成18年第12回日本俳優協会賞功労賞。

舞台写真

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