市村 鶴蔵 (初代) イチムラ ツルゾウ
- 本名
- 秋田幸夫
- 屋号
- 橘屋
- 定紋
- 浮線橘
- 生没年月日
- 大正13(1924)年01月21日〜平成27(2015)年12月26日
- 出身
- 東京
プロフィール
いまでも『弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)』浜松屋の弁天小僧の名セリフ、「秋田の部屋ですっぱりとられ」を聞くと、鶴蔵を思い出す。初演の五代目尾上菊五郎門下の四代目尾上菊三郎の孫で、六代目菊五郎の許に住み込んで修業を積み、六代目の実母の秋田姓を継いだ人。素顔は痩身の実に二枚目の好人物だったが、役どころは軽妙洒脱。坂東亀之助から鶴蔵襲名も『忠臣蔵』「落人」の鷺坂伴内で、「三段目」「七段目」とも東京では持ち役だった。『源氏店』の番頭藤八の「誰に見しょとて」とお富に言い寄るトボけた愛嬌と間合いなどサラリとして品が落ちず、いかにも劇団育ちらしい、いい雰囲気が立ち上った。六代目“学校”の修業と人柄の賜物であった。華奢な人だったから女方にも回り、『髪結新三』の家主女房の強欲ばりも面白かったが、「六段目」のおかやの真摯な熱演も目に残る。判人源六をさせれば、その江戸っ子ぶりと花街にどっぷりつかった男の素性がほの見えた。『魚屋宗五郎』の父太兵衛の親心には、娘を楽しみに生きてきた老父の嘆きが滲んだ。
大雪に思い出した鶴蔵の役が1つ。『入谷』は雪模様、そば屋の亭主仁八が客の足許を気づかいさりげなくかける、「気をつけておいでなさい」という言葉のリアルさ…釜の湯気さえ感じさせる、江戸市井の世話舞台の1つの妙であったと思う。
【秋山勝彦】
経歴
芸歴
祖父は四代目尾上菊三郎。昭和5年4月六代目尾上菊五郎の実妹の養子となり、東京劇場『お祭佐七』の鳶頭の倅(せがれ)で坂東亀之助を名のり初舞台。46年5月歌舞伎座『落人』の伴内ほかで初代市村鶴蔵と改名。47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。
受賞
昭和50年11月『平將門』の藤原玄明で、55年3月『京鹿子娘道成寺』の所化で国立劇場特別賞。59年10月『曾我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)』の奥女中横笛と花形屋吾助で国立劇場奨励賞。平成9年3月『梅雨小袖昔八丈』髪結新三の家主女房お角で国立劇場優秀賞。