坂東 楽善 (初代) バンドウ ラクゼン

屋号
音羽屋
定紋
鶴の丸、八重かたばみ
所属
伝統歌舞伎保存会会員

プロフィール

▼初舞台の四代目坂東亀三郎から始まり楽善まで5回の襲名は記録的だ。父・十七代目市村羽左衛門の教えは厳しく中学生の頃から舞台袖で見る定後見、食事中も六代目尾上菊五郎の芸談を聞いた経験と知識が基礎となった。八代目坂東薪水を名乗った青春時代は爽やかな若武者にも似たと評判だった。大病を経て復帰した舞台から芸に厚みが増した。20代後半には『忠臣蔵』の高師直を演じているが敵役は好きな役柄だという。『御所五郎蔵』の星影土右衛門、『寺子屋』では春藤玄蕃、『俊寛』なら瀬尾。『妹背山』の入鹿などの公家悪でこの人が出ると舞台が大きくなる。明るく澄んで涼しげな声は客席後方まで届く。良い口跡が魅力だが天分に加えて若い時分、星空に向かって発声練習を続けた賜物といえる。豊富な経験と博識だけでなく、不断の努力で裏付けられた演技なのである。誠実な人柄、確かな位取りを大切にする演技術。菊五郎劇団の重鎮として欠かせない俳優だ。

〔大島幸久〕

経歴

芸歴

▼1943年3月31日生まれ。十七代目市村羽左衛門の長男。50年6月新橋演舞場『寺子屋』の菅秀才で四代目坂東亀三郎を名のり初舞台。50年代に松竹映画『路傍の石』の主人公・吾一などで名子役として活躍。65年5月歌舞伎座『対面』の朝比奈で八代目坂東薪水(しんすい)を襲名。66年7月に大病で倒れたが克服し、67年10月に再起。72年5月歌舞伎座『石切梶原』の梶原平三で二代目坂東亀蔵を襲名。80年2月歌舞伎座『実盛物語』の実盛と『毛谷村』の六助で八代目坂東彦三郎を襲名。2017年5月歌舞伎座『石切梶原』の大庭三郎などで初代坂東楽善を襲名。

受賞

▼1972年重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる。2013年旭日双光章。

舞台写真