坂東 三津之助 (3代目) バンドウ ミツノスケ
- 本名
- 山田高義
- 屋号
- 大和屋
- 定紋
- 三ッ大、花かつみ
- 生没年月日
- 昭和37(1962)年01月19日〜平成25(2013)年11月16日
- 出身
- 東京都
プロフィール
10歳で七代目坂東簑助(九代目三津五郎)に入門、翌年坂東みの虫を名のって初舞台という、子役からたたき上げの腕達者。
目鼻立ちが派手で色浅黒く、小柄だがきびきびした動きは立廻り上手の若手として抜きんでた存在だった。タテの名人坂東八重之助最晩年の教え子だ。『蘭平物狂』「奥庭の場」で井戸の屋根→石燈籠→所作舞台へと順に返り落ちするとんぼの鮮かさ。6人、7人を並べた捕手の上の返り越しなど、折々の切れの良いタテが目に浮かぶ。国立劇場養成課の立廻りの講師を務めていたのもうなずける。
目付きが鋭く、意志の強そうな面構えで、世話物の手先や『青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)』の子分狼の悪次郎など小悪党がぴったり。反面『番町皿屋敷』の奴権六では主人大事と勤める実直な若党も仁(にん)にあっていた。舞踊も得意で、夏の若手勉強会の『菅原伝授手習鑑』「車引」の梅王丸では形の良さに舞踊の素地が生かされていた。十代目三津五郎の舞踊の後見としてもなくてはならない存在であった。
みの虫の色黒、坂東うさぎ(現・市村橘太郎)の色白のオセロコンビは菊五郎劇団若手を応援する女性ファンのあいだで長年のアイドルだった。同学年の2人はコロコロした体軀で童顔。大きな荷物を抱えて歌舞伎座近くの三原橋交番で不審尋問に呼びとめられたのは一つ話。家出少年に名を問えば「みの虫にうさぎ」は、ふざけすぎと怒られたとか。
そのみの虫こと三津之助が立廻りや舞踊に加えて、地芸にもきりりとした江戸前の味をみせはじめたのも束の間、51歳での死はあまりにも残念だ。最後の舞台は死の1と月前、国立劇場『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の百姓粟八、『春興鏡獅子』の用人関口十太夫であった。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
昭和47年10月九代目坂東三津五郎に入門し、昭和48年3月坂東みの虫を名のり初舞台。平成10年4月名題適任証取得。平成13年1月歌舞伎座『御所五郎蔵』の穴生多九六で坂東三津之助と改名。平成13年7月伝統歌舞伎保存会会員の第10次認定を受ける。平成19年5月歌舞伎座『与話情浮名横櫛」の噺家五行亭相生で名題昇進。
受賞
昭和62年9月『蘭平物狂』の立廻りで松竹社長賞優秀賞。平成7年1月『日本振袖始』の大蛇の分身で国立劇場特別賞。平成8年1月『雷神不動北山桜(なるかみふどうきたやまざくら)』の奴軍内で、9年10月『黄門記童幼講釈』の織田家中間(ちゅうげん)ぐづ八で、17年6月『毛抜』の小原万兵衛で国立劇場奨励賞。平成9年眞山青果賞助演賞。平成10年4月こんぴら歌舞伎奨励賞。同年第4回日本俳優協会賞奨励賞。平成24年10月『塩原多助一代記』の下男五八で国立劇場優秀賞など。