澤村 宇十郎 (4代目) サワムラ ウジュウロウ

本名
森下省三
屋号
紀伊国屋
定紋
丸にい、四つきねの中に丸い
生没年月日
明治20(1887)年09月14日〜不明
出身
横浜市

プロフィール

少年時代は何度も師匠を変え、芸名もたびたび変っていたが、七代目宗十郎門下になってからは落ちつき、戦後も師匠の一座で『先代萩』〔花水橋〕の黒沢官蔵や『裏表先代萩』〔小助対決〕の横井角左衛門などで実力を示している。師の没後も歌舞伎座開場のころまでは東京にいたが、その後八代目澤村訥子について大阪へ行き、関西歌舞伎で最後を過ごした。

高島屋から宇十郎に戻ったあと、千日前にあった旧大阪歌舞伎座に出演していて楽屋に寝泊まりしていたとき、ある夜同僚数人と博打をしていたのを密告されて御用になってしまった。それが新聞の社会面に扱われ、あろうことか誤植で「宗十郎捕まる」と書かれたので、怒った宗十郎に宇の字を取り上げられ、数年間は澤村十郎で舞台を務めたという珍話がある。

遊び好き、女好きに定評があり、澤村一座の巡業では、行った先々で師弟が遊びに行くとき、その案内役を買って出るのが慣例になっていた。しかし、根は全くの好人物で、現田之助の子供時代、よく面倒を見た。学業のため舞台を離れていた田之助が芝居へ戻ってから、昭和34年、35年ごろまでは、しばしば訪ねてきたという。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

父は芝居の出方だった大谷吉蔵。明治24年横浜賑座『板額』の子役で初舞台。初名市川清太郎。後に坂東録蔵の門に入り坂東花三郎。明治36年三代目澤村訥升(七代目宗十郎)の門に転じ澤村訥カン(金偏に丸)、のちに澤村宗次。大正7年10月帝国劇場『出世景清』で四代目澤村宇十郎を襲名、名題昇進。昭和4年11月四代目澤村訥升(八代目宗十郎)が二代目市川左團次の養子となり市川松莚と改名するのに従って附人として高島屋へ行き市川莚五郎と改名。昭和11年10月松莚が澤村家に復帰し訥升に復名するとともに元の澤村宇十郎に戻る。

(以上は既成の経歴に演劇界増刊『現代の舞台俳優』の記述を按配して作成したもの。ただし名題昇進以前の記述に関しては未確認)