嵐 冠十郎 (6代目) アラシ カンジュウロウ
- 本名
- 松岡昌治
- 屋号
- 具足屋
- 生没年月日
- 大正15(1926)年08月25日〜平成20(2008)年12月22日
- 出身
- 朝鮮・京城(ソウル)
プロフィール
戦前の韓国ソウルの生まれ。昭和14年、初代中村吉右衛門に入門し日本に戻り、初代中村吉多郎の芸名で、明治座で子役として初舞台を踏んでから、多彩な役者人生が始まる。以後、三代目市川門三郎(三代目市川白蔵)の一座に移り、市川靖十郎と改名。昭和27年、二代目中村鴈治郎の付人となる。武智歌舞伎でも認められ、昭和26年、加賀の團十郎と呼ばれた明治期の古名優、嵐冠十郎の六代目を襲名し、具足屋という珍しい屋号を復活した。昭和30年、宝塚新藝座に移り、現代劇のコメディで活躍したが、十代目嵐三右衛門らと歌舞伎を演じ『夏祭浪花鑑』の儀平次など独特の持ち味で面白く見せた。一時大宝芸能に移籍したが、昭和53年、関西歌舞伎に復帰した。晩年は、三代目市川猿之助(現・猿翁)一座に加入することが多く、復活狂言やスーパー歌舞伎で、ベテランらしい活躍を見せた。『ヤマトタケル』の占い師や、『オグリ』での、ポイントとなる数々の役(女形も)を飄々と演じ、都度好評を得た。平成10年12月、歌舞伎座で、『敵討天下茶屋聚(かたきうちてんがぢゃやむら)』の貸座敷の医者等を勤めていたが、体調を崩し休演した。もう一度舞台に出たいという執念で治療につとめ、平成12年新橋演舞場の『新・三国志』で復帰を果たしたが、10日過ぎに、通勤の途中脳障害を再発し、長い療養を続け、遂に舞台に出る事は出来なかった。
飄々とした三枚目の演技は独特で、強い印象を残したが、平成3年、歌舞伎座で十八代目中村勘三郎と十代目坂東三津五郎の相手にまわった『らくだ』の家主で、絶妙な芝居をみせ、唸らせた。
独特の飄逸さで歌舞伎史に名を留める貴重な役者であった。現・市川猿三郎は、その長男である。
【奈河彰輔】
経歴
芸歴
昭和14年4月初代中村吉右衛門に入門、同年6月南座『二条城の清正』の小姓で中村吉多郎を名のり初舞台。昭和22年三代目市川門三郎(三代目白蔵)一座に入り市川靖十郎と改める。昭和23年二代目中村鴈治郎の付人を経て、昭和26年2月南座で六代目嵐冠十郎を襲名し、名題昇進。昭和30年宝塚新芸座に入座、昭和33年フリーとなり、昭和35年大阪大宝芸能へ入社。昭和53年6月大阪松竹へ復帰。昭和54年4月伝統歌舞伎保存会会員の第5次認定を受ける。