片岡 我童 (13代目) カタオカ ガドウ
- 本名
- 片岡一
- 屋号
- 松嶋屋
- 定紋
- 銀杏鶴、二引
- 生没年月日
- 明治43(1910)年07月06日〜平成5(1993)年12月31日
- 出身
- 大阪市
プロフィール
実に女形らしい、情感のある、優美な人だった。
五代目片岡芦燕から我童を襲名した披露の演目は『神霊矢口渡』のお舟だった。古風な美しさの反面、新作でも独特な雰囲気をもっていた。谷崎潤一郎原作『十五夜物語』のおなみは、武士の妻でありながら廓へ身を沈め、苦界をぬけて家へ戻ったものの、もう絶対元へは戻れない女の哀れな業を感じさせ、その退廃美がけだるい色気の中にまぶしかった。柳沢吉保の出世譚、宇野信夫の新作歌舞伎『柳影澤螢火(やなぎかげさわのほたるび)』の将軍綱吉の母・桂昌院の気品と出自を潜めた色気など、得難いものであった。
晩年まで白髪(はく)をかけず、花車方(かしゃがた)という女形の役どころのイメージを貫き通した。『河庄』のお庄、『封印切』のおえんなど、粋(すい)で優美な廓の女主人がピッタリで、上方のムードが横溢していた。八右衛門が忠兵衛の悪口を言うのを聞いて、思わずつっかかっていく情味や、梅川忠兵衛に自分と治右衛門のかつての姿を重ね合わせて「オオてれくさ」というセリフの色気と愛嬌、はんなりとした風姿などは極上の美酒のようだった。国立劇場で近松原作の『心中天網島』の通しが上演されたときおさんを務めたが、さすがに本役であった。
大顔合せの『新薄雪物語』の籬(まがき)は姫と左衛門の恋をとりもつ若い腰元役で、嬉しそうに演じて微笑ましかった。長谷川一夫が初演した北條秀司作『紙屋治兵衛』を四代目坂田藤十郎が二代目中村扇雀時代に演じ、その扇雀が初演した小春がこの人に廻って、熱演した。感情をモロに出す独特の小春像で、ニンではなかったが、この時も嬉しそうだった。十三代目片岡仁左衛門の一世一代の『廓文章』で夕霧をしっとりと見せたのも記録される舞台。『酒屋』のお園も当り役だったが、一度、三勝1役だけで幕切れに二代目中村鴈治郎の半七と出た数分、前の場の大舞台の印象を吹き飛ばすほどの力を示している。2人の芝居の色の濃さ、義太夫狂言の芸のこくが東京の演者とはひと味違っていたのだ。
【秋山勝彦】
経歴
芸歴
十二代目片岡仁左衛門の長男で、弟に二代目市村吉五郎、六代目片岡芦燕がいる。大正6年10月中座『鞍馬山だんまり』の里の子で片岡はじめを名乗り初舞台。大正13年片岡ひとしと改名。昭和9年6月歌舞伎座『家康と春日局』の梅の戸で五代目芦燕を襲名。昭和30年7月歌舞伎座『矢口渡』のお舟で十三代目片岡我童を襲名(本来は五代目だが、代々の仁左衛門の俳名を代数に数え十三代目と称した)。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。没後十四代目仁左衛門を追贈される。
受賞
昭和45年5月『柳影澤螢火』の桂昌院で、昭和54年1月『廓文章』のおきさで国立劇場特別賞。昭和48年12月紫綬褒章。昭和54年1月『廓文章』おきさで国立劇場特別賞。昭和58年勲四等旭日小綬章。平成元年10月『恋飛脚大和往来』の井筒屋おえんで歌舞伎座松竹社長賞。