澤村 可川 (初代) サワムラ カセン
- 本名
- 藤本正雄
- 屋号
- 紀伊国屋
- 定紋
- 丸にいの字
- 生没年月日
- 大正2(1913)年03月11日〜平成9(1997)年02月12日
- 出身
- 東京
プロフィール
小柄で丸顔、くりっとした目に特徴があった女形。戦争末期に大歌舞伎を離れ三代目市川門三郎(のち三代目白蔵)の一座に加入。かたばみ座時代は『梅川忠兵衛』の梅川などが持役だったと聞くが、さぞ可愛らしかったろうと思われる。が、可川を襲名したあとは、もう小芝居でたたき上げた腕を持つ、八代目澤村宗十郎門下のベテランだった。晩年は女中、百姓女、茶店の老婆などセリフは2言3言の役が多かったが、それでいて「あっ可川だな」という存在感があった。
九代目宗十郎が平成元年から始めた「宗十郎古典歌舞伎復活の会」で『うわばみお由』、『紅皿缺皿(べにざらかけざら)』、『女大盃』などつぎつぎと珍しい演目を上演したのは、この人の存在が大きい。小芝居の経験を生かして、ご意見番的な存在となった。自身は控え目な脇にまわっていたが、『紅皿缺皿』の洗濯女おつめでは、継子いじめに加担する中年の女の嫌らしさをあの目に利かせ、憎々しくみせていた。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
大正9年7月二代目市川猿之助(のち初代猿翁)に入門し、歌舞伎座『井伊大老の死』の小姓で市川熨斗丸を名乗り初舞台。昭和5年に市川熨斗弥と改名。昭和12年1月東劇『弓矢太郎』の侍女渚で市川女猿を襲名、名題昇進。三代目市川門三郎(三代目白蔵)一座、かたばみ座などを経て、昭和39年6月八代目澤村宗十郎に入門。昭和40年澤村可川を襲名。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。八代目歿後は九代目宗十郎に師事。
受賞
昭和44年9月『蔦紅葉宇都谷峠』の女中おあきで、昭和55年4月『絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)』の道具屋後家おりよで国立劇場奨励賞。平成元年10月日本俳優協会功労者表彰。
著書・参考資料
平成5年「聞き書き 沢村可川」(『歌舞伎 研究と批評』11号、歌舞伎学会編、雄山閣)