中村 歌昇 (2代目) ナカムラ カショウ

本名
小川貴智雄
屋号
播磨屋
定紋
揚羽蝶
生没年月日
大正14(1925)年07月15日〜昭和48(1973)年07月20日

プロフィール

昭和27年11月末の2日間、二代目中村又五郎を中心に当時の中村吉右衛門一座、二代目市川猿之助(初代猿翁)劇団の若手俳優を集めた研究公演「梨苑会」が一ツ橋共立講堂で催されたとき、近松門左衛門の『大名なぐさみ曽我』が復活上演されたが、この中で演じた大名の役が傑作だった。よく元禄歌舞伎の鷹揚な味を出していて、三代目種太郎時代の当たり芸といっていいだろう。

幼時の病気のために手足が不自由だったので、舞台に出ていてもひけ目を抱いているように見えたのが、このころから自信を取り戻したようで二代目歌昇襲名に至ったという。芸熱心なことは人一倍で、『夏祭』の義平次をやってみたいと意欲を洩らしていたことがある。30 年代に入ると、弟・初代中村錦之助(萬屋錦之介)の活躍に刺激され、映画に数本出演したこともあった。その後、歌舞伎に専念するようになったが、身体のマイナス面は如何ともしがたく、ついに俳優をやめ、シナリオ作家に転向。映画・テレビを中心としながら、父・三代目時蔵の追善興行には故人の当たり芸を集めた『偲草姿錦絵』(39年7月)を構成、また錦之助公演のために『殿さま弥次喜多』などの脚本を書いている。

日常は快活で話し好き。子煩悩で、その可愛がられた子供たちが成長して、現在は長男が現・中村歌六、次男が現・又五郎として活躍している。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

三代目中村時蔵の長男。弟に四代目中村時蔵、初代中村獅童(廃業、現・獅童の父)、萬屋錦之介、中村嘉葎雄がいる。昭和11年11月歌舞伎座『日招きの清盛』の六波羅の童で三代目中村種太郎を名乗り初舞台。戦後2年間菊五郎劇団に所属したあとは、もっぱら父と一座し、昭和28年4月歌舞伎座『だんまり』の仁田の息忠胤、『暫』の鹿島入道、『道行旅路の嫁入』の奴時平で二代目中村歌昇を襲名。健康を害したため歌舞伎俳優を廃業し、テレビ映画の脚本家に転じ、没後四代目中村歌六を追贈される。長男は現・歌六、次男は現・又五郎。

舞台写真

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