中村 鴈右衛門 ナカムラ ガンエモン
- 本名
- 元安豊
- 定紋
- イ菱の中にエ・菱三つ重ね
- 生没年月日
- 明治25(1892)年11月20日〜昭和41(1966)年07月10日
- 出身
- 東京・吾妻橋
プロフィール
昭和11年刊行の『俳優大鑑(歌舞伎書房発行)』によると、広島県双三郡の生まれとある。早稲田中退後、坪内逍遙の文芸協会に入り、初舞台を帝国劇場で踏む。無名会、芸術座をへて、大正4年、竹田正憲等と新日本劇を旗揚げ、翌5年12月には、佐藤紅緑を主幹とする日本座を高橋義信等と結成し、新演劇運動を展開した。後、常盤興行会社に入り、松竹合名会社専属となり、新派大合同に加入する。当り役は『人形の家』のランク、『金色夜叉』の間貫一、『不如帰』の川島武男、『父帰る』の賢一郎、旧劇では『仮名手本忠臣蔵』の塩冶判官、『京の友禅』の友七などとあるが、どの時代の、どこの舞台で勤めたかは不明。関東大震災後、大阪に移り、三代目阪東寿三郎の「第一劇場」に参加、その後、関西新派、松竹家庭劇をへて、昭和 23年頃より、関西歌舞伎に所属し、「新潮」の公演にも参加したが、「新潮」解散後、昭和29年、二代目中村鴈治郎の門下になり、中村鴈右衛門と改名する。
新劇出身で、まことに多彩な芝居人生を送った。若い頃は純二枚目役者として、そして中年では、渋い脇役として活躍したようだが、晩年、歌舞伎に入ってからは、舞台も日常も枯淡そのもので、目立った役はつかず『寺子屋』のお迎えの百姓で並んでいたのを思い出すくらいである。
【奈河彰輔】
経歴
芸歴
大正2年坪内逍遙博士主宰の文芸協会に入り、大正3年帝劇『ジュリアス・シーザー』で初舞台。文芸協会解散後は無名会、芸術座に出演。その後新派大合同に加入。関東大震災後、大阪に移住し、三代目阪東寿三郎の第一劇場、関西新派、松竹家庭劇等を経て関西歌舞伎に加入。昭和29年4月より中村鴈右衛門を名乗る。