岩井 貴三郎 (2代目) イワイ キサブロウ

本名
佐々光男
屋号
大和屋
定紋
三ツ扇
生没年月日
大正4(1915)年05月14日〜平成3(1991)年02月23日
出身
東京都

プロフィール

七代目澤村宗十郎の門下の脇役で、大正時代は中芝居で活躍した澤村源十郎の息子。初めは作家になるつもりで、日大の芸術学部へ入学したが、結局は役者になったという。二代目市川猿之助(猿翁)に入門したが、師匠のもとを離れ関西へ移って、東宝新芸座などで舞台を務めた期間が長かった。昭和38年、旧師に望まれて復帰したのは、猿之助が孫に名を譲って猿翁と改名した興行で、直後に猿翁が他界。だから、東京一般の観客には三代目猿之助一座での印象が強い。

経歴が変化に富んでいただけに博識で、猿之助が「一座の教養部」と評したほど。舞台では押出しが立派で、個性的な風貌のため、例えば『金門五三桐』で五右衛門の手下、『千本桜』「河連館」で化かされの法師、あるいは四天王、軍兵などの役に出ても、その存在が目立っていた。「春秋会」で『一谷嫩軍記』では「陣屋」の梶原平次を演じている。岩井一門に移って貴三郎を名のってからは、異なる座組の公演に多く出演するようになり、端敵系の役や老け役に好演技を見せていた。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

大正8年11月澤村紀美団子を名乗り本郷座『新口村』遠見の梅川で初舞台。昭和8年日大一中卒と共に二代目市川猿之助(のち猿翁)に入門、市川喜三之助と改名。昭和16年4月東劇『平将門』の舟人、『番町皿屋敷』の田町の弥作で三代目市川猿十郎を襲名、名題昇進。戦後関西へ移り東宝新芸座に参加。昭和38 年5月歌舞伎座市川猿翁改名の時に松竹復帰。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第二次認定を受ける。昭和50年9月岩井半四郎の門に移り分家名跡二代目岩井貴三郎を襲名。昭和63年9月劇団芸術劇場の『義民甚兵衛』(深川・江戸資料館ホール)を演出。

受賞

昭和45年10月『関白殿下秀吉』川北主膳で国立劇場奨励賞。昭和62年第6回真山青果賞奮闘賞。昭和62年10月『紙子仕立両面鑑』伝九郎で国立劇場賞奨励賞。平成元年4月『一本刀土俵入』老船頭で松竹社長賞優秀賞。

舞台写真