尾上 菊次 (2代目) オノエ キクジ

本名
寺田竹千代
屋号
音羽屋
定紋
乱菊
生没年月日
明治25(1892)年12月13日〜昭和45(1970)年08月04日
出身
横浜市

プロフィール

五代目尾上菊五郎の弟子だったが、明治36年に師が歿した後は、六代目菊五郎についた。尾上琴次を名乗っていた時期は、明治末年から大正中ごろにかけてのいわゆる「菊吉の市村座時代」を支えていた脇役の一人として活躍。若いころは女形であったが、背が高いので菊次襲名後は立役をやるようになり、時代物よりも世話物が得意で、昭和になってからは『一本刀土俵入』の板前、『暗闇の丑松』の料理人のような、その場面の点景となる役どころに味わいを示し、昭和10年以降も『髑髏妻』『鵜匠の家』『維新の次郎長』など六代目菊五郎がしばしば上演していた新作の舞台では、さりげない市井の人物を演じて本領を発揮した。役者として一座の坂東薪蔵、尾上新七などにくらべ腕の立つほうではなかったといわれるが、舞台も私生活も非常に真面目で優しく、遠慮深い人だった。そういう人柄から、六代目菊五郎が昭和24年7月10日に歿したあとに結成された尾上菊五郎劇団の理事に、七代目尾上梅幸、市川男女蔵、尾上松緑らとともに就任した。晩年は菊五郎劇団のいわゆる主事、大番頭的な存在で、松竹との交渉や座組の編成の連絡など事務的なことを任されていた。本名が寺田竹千代と時代劇に出てくるような名前であったが、そんな雰囲気のある人だったという。息子に、「下谷のお師匠さん」といわれる日本舞踊家若柳与志之助がいる。

【金森和子】

経歴

芸歴

明治34年5月横浜市羽衣座『め組の喧嘩』のととまじりの栄次で尾上琴次を名乗り初舞台。大正9年5月市村座『花橘劇繁昌(はなたちばなかぶきのにぎわい)』の蝶々売おことで名題昇進、二代目尾上菊次と改名。