尾上 菊蔵 (6代目) オノエ キクゾウ
- 本名
- 樋口太郎
- 俳名・舞踊名
- 俳名は科斗
- 屋号
- 音羽屋
- 定紋
- 重ね扇、抱き菊の葉
- 生没年月日
- 大正12(1923)年06月14日〜平成12(2000)年10月30日
- 出身
- 東京
プロフィール
『少将滋幹の母』を三代目市川寿海と七代目尾上梅幸で上演した折に、梅幸の北の方付きの女房讃岐を演じた。その取りなしといい美しさといい、主人への情愛といい、平安貴族付の女房として申し分ない好演だった。父の三代目尾上多賀之丞は、脇でもどこかに芯のあるカッキリした芸であったが、菊蔵は父より線は細いが女形、立役ともに役の幅が広く、どんな役も平均点以上の感があった。父亡きあとに演じた『盲長屋梅加賀鳶』のお兼はもう一刷け悪女の深情けがほしいと思われる淡白なものだったが、『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』引窓のお幸、『摂州合邦辻』のおとくなど、父の当り役を演じて過不足のない演技を示し菊五郎劇団の脇の要となって、老け女形としての大成が期待されていた。立役に扮しても柄のよさが光っていたが、晩年は職業病ともいえる足の疾病で充分舞台に立てなかったのが惜しまれる。父譲りの日本画と篆刻は玄人はだしで、品のいい趣味人としての素顔をもっていた。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
三代目尾上多賀之丞の子。昭和10年3月歌舞伎座『芝居前』の茶屋の伜(せがれ)で二代目尾上菊丸を名乗り初舞台。昭和21年9月東劇『加賀鳶』で六代目尾上菊蔵を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和45年訪米歌舞伎参加。
受賞
昭和55年3月『京鹿子娘道成寺』の所化で国立劇場特別賞。昭和60年3月『合邦』のおとくで国立劇場優秀賞。