尾上 琴糸 (初代) オノエ キンシ
- 本名
- 遠藤宇吉
- 屋号
- 音羽屋
- 定紋
- 乱菊
- 生没年月日
- 明治33(1900)年10月02日〜昭和48(1973)年11月08日
- 出身
- 東京
プロフィール
名題昇進のとき六代目尾上菊五郎に口上を言ってもらったのを生涯の名誉としていたようだ。以後は終生、菊五郎一座、その没後は七代目尾上梅幸に従って菊五郎劇団を離れなかった。温厚な人柄が影響してか、舞台でも特に目立つことなく、もっぱら居並びの女郎、新造、腰元などの役で終始している。丸顔で老けを感じさせない女形だった。
なお、長女が梅幸に師事し、尾上梅乃と名のって舞台に立ち、『鏡獅子』の胡蝶などを踊ったことがあった。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
片岡少年劇附属学校に入学して、大正2年4月神田三崎町東京座の子供芝居で片岡六郎を名乗り初舞台(明治42年12月名古屋末広座『吉田屋』の禿(かむろ)で初舞台とする資料あり)。その後四代目河原崎国太郎に入門したが、国太郎没後は六代目尾上菊五郎の門に移り、大正11年9月市村座『紅葉狩』の腰元秋野などで尾上琴糸と改名、師菊五郎の口上で名題昇進。
当人の申告〔演劇界増刊「現代の舞台俳優」に記載〕として、「大正11年9月市村座で名題昇進、長田秀雄作『八百屋お七』で師菊五郎の墓守松兵衛、故〔七代目〕栄三郎のお七、現〔三代目〕左団次の喜三にてお杉を勤める」とあるが、正外題は『お七と吉三』で上演は大正13年12月邦楽座、琴糸の役名もおよしとなっている。当人の記憶違いであろう。