利根川 金十郎 (初代) トネガワ キンジュウロウ

本名
君塚金太郎
屋号
紫屋
定紋
牡丹に蝶、弥次郎兵衛
生没年月日
明治30(1897)年01月02日〜昭和60(1985)年01月22日
出身
東京

プロフィール

前名は四代目市川升蔵(ますぞう)。父以来の成田屋門下だったのが、ふとしたことで十一代目市川團十郎を怒らせて名跡返上。名乗った名前が市川の隣りの“利根川”で、團十郎に対抗して“金十郎”というのだから洒落た人である。ついでに屋号も好きな色の紫から紫屋とし、白髪を紫色に染めていた。二代目尾上松緑が身柄を預かり、改名の舞台が『義経千本桜』「鳥居前」の早見の藤太だった。ベテランの飄逸な芸で、弁慶に踏んづけられて目玉が飛び出すおかしさといったらなかった。『白浪五人男』の浜松屋の番頭のお世辞と鹿の子の件りのバツの悪さ、『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』「源氏店」の藤八の白粉をつけたおかしな顔などなど、自然な愛嬌で主役にからむこの種の役どころの手本を見せてくれた。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

父は三代目市川升蔵。九代目市川團十郎に入門、明治35年4月歌舞伎座『名大嶋功誉強弓』「島の為朝」の娘嶋君で市川君太郎を名乗り初舞台。大正11年名題昇進、6月帝劇『忠臣蔵』大鷲文吾、『かっぽれ』の升坊主で四代目市川升蔵を襲名。昭和3年頃東京を離れて初代中村鴈治郎の一座に加わる(旅廻りは一度もなし)。戦後は一時廃業し、昭和32年5月より九代目市川海老蔵(十一代目團十郎)一門で舞台復帰。昭和38年9月利根川金十郎と改名、独立してフリーとなる。改名のときに詠んだ狂歌が「たらちねの親より受けし名なれどもいかぬとあれば返しますぞう」。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。昭和58年2月歌舞伎座『四千両小判梅葉』の紙屑屋ぼろ八を勤めたのを最後に舞台から引退。

受賞

昭和49年4月勲五等瑞宝章。昭和51年8月『盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)』の徳右衛門同心了心で国立劇場特別賞。昭和53年度永年勤続功労者表彰。昭和56年3月芸団協功労者表彰。

舞台写真

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