中村 吉之丞 (初代) ナカムラ キチノジョウ
- 本名
- 吉田政吉
- 屋号
- 播磨屋
- 定紋
- 揚羽蝶、浪かたばみ
- 生没年月日
- 明治19(1886)年11月28日〜昭和33(1958)年01月08日
- 出身
- 東京・浅草
プロフィール
大向うから「大番頭」と声がかかった名脇役としては、昭和初期までは四代目尾上松助、二代目尾上幸蔵らが知られていたが、その後は吉之丞が長いあいだこの称号を独占した。初代中村吉右衛門主役の数々の演目における端敵(はがたき)役、例えば時代物では『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』「組討」の平山武者所、『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』の八剣勘解由、『菅原伝授手習鑑』「筆法伝授」の左中弁希世など、世話物では『隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)』の長九郎、『松竹梅湯島掛額』の釜屋武兵衛など、常に欠かせない傑作で、どんなに舞台を助けていたことか。
甲音の利く台詞廻しは無類の巧さで、一例『天衣紛上野初花(くもにまごううえののはつはな)』の北村大膳が「玄関先」で呼びとめるところの「御使僧しばらく」、『仮名手本忠臣蔵』「進物場」の鷺坂伴内が本蔵に挨拶するところの「これはこれは、どなたかと思ったら……」という台詞など、端敵・三枚目系の役の見本ともいえる名調子だった。
もちろん知識も豊かで、後進の指導にも尽力。かなりの酒豪で、趣味は吉右衛門ゆずりの俳句。ほかに当時の名優たちの演技の特徴と癖を、体の動きで真似て見せる“振り模写”は十八番の隠し芸だった。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
明治27年4月本郷座『一谷嫩軍記』の遠見の熊谷で中村播之助を名乗り初舞台(子役として初めて舞台に出たのは明治25年、三代目中村歌六のすすめで前橋巡業中の『盲兵助』とする資料あり)。三代目歌六の門下だったが、後に初代中村吉右衛門門下となる。大正7年9月市村座で中村吉之丞と改名、名題昇進。