市川 九蔵 (5代目) イチカワ クゾウ

本名
鳴海茂
俳名・舞踊名
俳名は三猿、舞踊名は花柳茂々太郎
屋号
三芳屋
定紋
八重桔梗
生没年月日
明治43(1910)年01月01日〜昭和53(1978)年10月02日
出身
愛知県名古屋市

プロフィール

脇役のベテランで、立役も女形もいけた。どちらかというと控え目で地味な芸風だったが、気骨ある老人や武士が似合う人で、『仮名手本忠臣蔵』なら「進物場」の加古川本蔵がぴたりとおさまった。『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』では千姫を逃そうと女間者(かんじゃ)の常盤木としめし合わせる小車の局が、巧いものだった。その役どころに適ったときには舞台が大きくなった。人を押しのけて前へ出るような人ではなかったが、昭和43年に国立劇場第1回青年歌舞伎祭に自主公演「青芳会」で参加し、『ハムレット』の翻案である『蔦葛悲怨柵(つたかづらひえんのしがらみ)』を上演、ハムレットに当たる若殿の役を息子の五代目中村もしほに務めさせ、自分は叔父と父王の亡霊の2役を演じるだけの意欲と知性、実力を見せたこともあった。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

父は七代目市川團蔵の長男・市川三猿(本名鳴海喜三郎)。大正3年5月名古屋末広座『三十三間堂』のみどり丸で四代目市川茂々太郎を名乗り初舞台。昭和11年花柳茂々太郎で舞踊名取となり舞踊教授を続ける。戦後八代目市川團蔵の名跡上の養子となり、昭和25年亡父の芸名市川三猿を名のって歌舞伎に復帰。昭和26年9月『鎌倉三代記』の女房おくる、『鏡獅子』の局紅梅で五代目市川九蔵を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。長男は五代目中村もしほ。

舞台写真