澤村 源之助 (5代目) サワムラ ゲンノスケ

本名
木村宮之肋
俳名・舞踊名
俳名は青岳
屋号
紀伊国屋
定紋
りんどう車、四ツ千鳥
生没年月日
明治40(1907)年01月13日〜昭和57(1982)年12月22日
出身
東京都

プロフィール

独特の一本調子のセリフ廻し。色気は薄く、固い感じの女形だったが、懐しい舞台も少なくない。

劇作家木村錦花・富子夫妻の子で、十一代目片岡仁左衛門に入門し、子役で舞台に立った。田圃の太夫(四代目源之助)の娘婿となったが、舅・源之助のムードとは全然別の芸風の女形だった。二代目市川左團次一座に所属し、娘方として活躍した時代もあったが、その後はワキの女形として時代物、世話物ともにいろいろな役を演じている。地味な芸風だったが、古風な味があって、『桜姫東文章』の長浦は持ち役だった。生真面目な人柄の真女形らしいこの人が、お局姿から転落した汚れ役を目一杯突っ込んで熱演していた。残月の市川八百蔵といっしょに釣鐘権助に身ぐるみはがされて花道を入るおかしみなど、泥絵のような感触があったといえる。『瞼の母』の夜鷹なども当り役で、亡くした子を思い続ける女の老いの哀れをしみじみ見せた。二代目中村鴈治郎が名古屋で初演した『奥の細道』で、中村歌右衛門が付き合った可南女という役を、歌舞伎座での短縮再演でこの人が演じている。芭蕉の出立を見送りに出るだけの役だが、自分の役どころとして見せたのは芸の年輪である。変わったところでは、なよなよといかにも女形らしいこの人が『助六』の通人で笑わせた。「股くぐれなんて、野暮じゃあげぇせんか」などというキザなセリフが不思議によく似合い、「幸わせなら、手をたたこ」と一本調子の流行歌を歌い、「オホン」と咳ばらいをして、すまして花道を入る源之助に拍手がおこった。昭和39年10月歌舞伎座所演のときである。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

大正2年6月片岡千代磨を名乗り歌舞伎座『大石良雄』(榎本虎彦補作)の大石大三郎で初舞台。昭和7年4月歌舞伎座で名題昇進。昭和11年4月四代目澤村源之助の長女栄乃と結婚。義父の歿後、昭和11年6月東劇『忠臣蔵』八段目・九段目の小浪で五代目澤村源之助を襲名。昭和36年には2月から3月にかけ曾我廼家十吾の「松竹家庭劇」に特別参加したことがある。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。

舞台写真