市川 紅車 イチカワ コウシャ

本名
渋谷稲雄
屋号
滝乃家
生没年月日
明治37(1904)年06月24日〜昭和38(1963)年06月23日
出身
東京

プロフィール

師匠の次男五代目澤村田之助づきとなり、長く澤村千鳥の名で活躍していた。その田之助にちょっと似た美男子で、女形や二枚目に向き、巡業では『廿四孝』「十種香」の勝頼を演じ好評だったという。

戦後は澤村宗弥の名に戻り、田之助が体調を崩してからはフリーの立場で東横ホールや新宿松竹座(新宿第一劇場)の若手歌舞伎にしばしば加わり、かなり重要な脇役を務めている。十四代目守田勘弥の『時雨(しぐれ)の炬燵(こたつ)』で太兵衛、『魚屋宗五郎』で三吉、『籠釣瓶』で雇婆、三代目市川松蔦(七代目門之助)の『嫗山姥(こもちやまんば)』で太田十郎、『四谷怪談』で関口官蔵、七代目大谷友右衛門(四代目中村雀右衛門)の『女暫』で腹出しなど、広い役柄で達者なところを見せていた。

酒好きで、五代目田之助の飲み友だちだった。他界は市川紅車になってから1年半後。京都南座の楽屋食堂で突然倒れ、偶然来合わせた現・田之助に抱かれてそのまま息を引きとった。同席した紀伊国屋門下の四代目澤村小主水が、旧朋輩の臨終を師家の若旦那が看取った奇縁に感激して号泣したそうである。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

七代目澤村宗十郎に入門、大正2年7月帝国劇場『高時』の一子泰松で澤村宗弥を名乗り初舞台。五代目澤村田之助のもとで修業し、大正12年4月帝国劇場『咲競雪梅香』の山田長門で澤村千鳥と改め名題に昇進。戦後旧名澤村宗弥に戻る。昭和37年2月、三代目市川松蔦の七代目市川門之助襲名に伴い、その門下に移って市川紅車と改名。