中村 駒七 ナカムラ コマシチ

本名
藤井東五郎
屋号
成駒屋
定紋
三ツ梅
生没年月日
明治38(1905)年03月07日〜昭和57(1982)年05月04日
出身
東京・神田

プロフィール

九代目市川團十郎の門弟の二代目市川團升に入門し、子役で明治43年に初舞台を踏んだというから大ベテランである。師の團升が亡くなって四代目市川市十郎の弟子となり、小芝居に多く出ていた。関東大震災ののちに三代目中村翫右衛門の弟子となり、前進座創立にも参加した。その後、同座を退座して二代目市川小太夫・中山延見(えみ)子一座に入った。戦争で徴兵され、復員してから六代目中村芝翫(六代目歌右衛門)の門弟になった。多彩な芸歴で、紆余曲折の人生だが、歌右衛門の門弟になってからは、地味で朴訥で物静かな老優という印象が強い。歌右衛門が『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の八ッ橋をつとめると、この人はいつも大きな提灯をもって花魁道中の先に立つ廓の若い者を演じていた。小柄で下ぶくれの、小さい眼をちょっと伏し目がちにして、背を丸めてうつむき加減に歩く姿が地についていて、いかにも吉原にいそうな男を自然に演じていたのは、やはり芸歴だろう。世話物の人足や下男、百姓、どこにでもいそうな町人など、何を演じても芝居の邪魔にならない自然なさりげなさが貴重な存在だった。

【浅原恒男】

経歴

芸歴

明治43年5月東京座『安宅関』の里の童で市川桔左衛門を名乗り初舞台。大正7年3月三代目市川市松と改名。昭和2年6月中村梅七と改名。昭和6年春秋座から前進座に参加し、昭和11年退座。昭和25年六代目中村芝翫(六代目歌右衛門)の門弟となり、中村駒七を名乗る(「演劇界」別冊『歌舞伎俳優名鑑』昭和39年刊)。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。

受賞

初代市川猿翁、六代目大谷友右衛門の『弥次喜多』の歌舞伎座興行で人足を演じ、松竹大谷会長より銀時計と金一封受ける。他に3、4回受賞あり。昭和50年8月28日国立劇場において社団法人(現・公益社団法人)日本演劇協会北條秀司会長より日本演劇放送に貢献したとして感謝状を受ける。

舞台写真

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