中村 駒雀 (初代) ナカムラ コマジャク

本名
山口重徳
屋号
新駒屋
定紋
裏梅
生没年月日
明治41(1908)年11月28日〜昭和61(1986)年01月25日
出身
大阪・南

プロフィール

歌舞伎役者中村儀平の子。大阪で生まれる。6歳の時、三代目中村雀右衛門のお園、二代目實川延若の六助、嵐巖笑(がんしょう)の京極内匠という大顔合わせの『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』「毛谷村」の子役八十松で初舞台を踏む。雀右衛門に入門し、中村芝芸雀の名で、達者な名子役の名をほしいままにしたと言う。雀右衛門の没後は、中村魁車(かいしゃ)の門下となり、中村駒雀と改名。戦後、市川寿海の付人となる。三人の師匠を持ったが、ずっと関西歌舞伎を離れず、女形一筋の舞台人生をまっとうした。長く関西歌舞伎の名題筆頭の位置を占め、何時までも若々しく、並びの腰元や仲居の芯を勤めていた。まれに目に立つ役がついても平板な出来で、仕出かす事は少なかった。子役時代で役者の華を使い切ってしまったのだろうか。温厚寡黙で、この人から芝居の話を聞いたことはなかった。付人としてもまじめで実直だったが、ある時寿海の『仮名手本忠臣蔵』「六段目」の勘平の後見を勤め、他の役の心得通り、鞘ばしらないように、刀の鯉口をしっかりと止めてしまったからたまらない。大カスを喰って小柄な身体を小さくしていた。普段はいかにも役者らしいたたずまいで、年に似合わぬダンディな装いで、常に話題になっていた。しっかり者の夫人に先立たれてからは、舞妓に出ていた孫娘と、祗園町の傍で、77歳の最後まで、静かにそれでも明るく過ごしていた。

【奈河彰輔】

経歴

芸歴

三代目中村雀右衛門に入門し大正3年6月大阪角座『毛谷村』の八十松で中村芝芸雀を名乗り初舞台。師の歿後、昭和15年中村魁車に入門。昭和18年7月中村駒雀と改名。昭和20年1月名題昇進。