中村 芝鶴 (2代目) ナカムラ シカク

本名
祖父江由良
俳名・舞踊名
俳名は敬州
屋号
新駒屋
定紋
四輪花菱、鶴岡宝、角祗園守
生没年月日
明治33(1900)年04月14日〜昭和56(1981)年09月03日
出身
東京

プロフィール

「ねぇ、旦那。廊下とんびは、いけませんよぅ」

『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』の「立花屋」で、間夫の栄之丞に気付いて、もしや、と眼で追う次郎左衛門の疑念をまぎらかそうとして言う、立花屋女房おきつのセリフである。八ツ橋を持ち役にしていた六代目中村歌右衛門も、後年、芝鶴のこの役を思い出して「よかったわねぇ、立花屋のおかみさん」と賞賛していた。吉原の茶屋の女房で、酸いも甘いもかみ分け、八ツ橋の愛想尽かしに意見の1つもする大きな役である。お客を思うその情のある言葉に、次郎左衛門は悔しさとともに感激して泣くのである。上方狂言のおかみさん役なら十三代目片岡我童(十四代目仁左衛門追贈)の姿がすぐ浮かぶように、この立花屋女房なら芝鶴のイメージが濃い。母方が大文字楼という吉原の大店だったから、その雰囲気を実際肌で感じて育ち、実際に見聞しているだけに、ぴたりと適った役どころだったのだろう。著書の『大文字草』や『遊廓の世界』などに詳しく書いている。博学で筆が立ち、『役者の世界』正・続など著書も多い。若き日は六代目尾上梅幸の信奉者で、実に美しいブロマイド写真が残っていて、熱烈なファンが多かったというのも察せられる。一徹な人柄で、八代目松本幸四郎(初代白鸚)が昭和36年に東宝に移籍したとき同行し、八代目市川中車や二代目中村又五郎らとともに東宝劇団を支えた。女形ながら、北條秀司の『井伊大老』で水無瀬六臣という浪人役を演じて成功している。立役も無理がなかったのはその人柄からだろうか。東宝時代に芸術座で自主公演をもち、『高慢の鼻』を主演したり、意欲的な人でもあった。『ボク(さんずいに墨)東綺譚』で原作者の永井荷風に扮し実物ソックリに演じた。森光子の『放浪記』の安岡役の初演もこの人。古典では鶴屋南北の『立場の太平次』のうんざりお松が、南北物の退廃的で色気のある悪婆役で魅力溢れた好演だった。松竹に復帰してからは歌右衛門が復活した『阿国御前』の妙林など、これも大南北の香りある役どころでベテランぶりを発揮した。『盲長屋梅加賀鳶(めくらながやうめがかがとび)』のお兼も、三代目尾上多賀之丞とはひと味違ったねばった色気の感触。歌右衛門が演じた『天守物語』の怪異な舌長姥もこの人だった。個性的な名女形だったといっていい。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

明治38年2月新富座『籠釣瓶花街酔醒』の禿(かむろ)で二代目中村由丸を名乗り初舞台。明治44年11月養父・五代目中村伝九郎と共に歌舞伎座入座、五代目中村歌右衛門に預けられ、初代歌右衛門の幼名・中村歌之助を三代目として襲名、松竹加入。大正8年5月歌舞伎座『丹前朝比奈』の古之蔵で二代目中村芝鶴を襲名、名題昇進。昭和35年東宝映画初出演。昭和36年2月東宝移籍。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和50年5月松竹復帰。

受賞

昭和43年紫綬褒章。昭和49年勲四等旭日小綬章。

著書・参考資料

昭和28年『中村芝鶴随筆集』(中村芝鶴著、日本出版共同)、昭和31年『かぶき随筆』(中村芝鶴著、高風館)、昭和36年『大文字草』(中村芝鶴著、東京書房)、昭和41年『役者の世界』(中村芝鶴著、木耳社)、昭和47年『続 役者の世界』(中村芝鶴著、木耳社)、昭和51年『遊廓の世界 新吉原の想い出』(中村芝鶴著、評論社)、昭和52年『歌舞伎随筆』(江戸文化選書2)(中村芝鶴著、評論社)など著書多数。

舞台写真