中村 七三郎 (5代目) ナカムラ シチサブロウ
- 本名
- 安田直次郎
- 俳名・舞踊名
- 俳名は少長
- 屋号
- 中村屋
- 定紋
- 重ね釘抜
- 生没年月日
- 明治12(1879)年08月28日〜昭和23(1948)年07月29日
- 出身
- 東京・日本橋葭町
プロフィール
日本画家安田靫彦(ゆきひこ)の実兄。商業予備校に通ったあと奉公に出て、その後日本橋に大島紬の店を出していた。当時、岡鬼太郎や鏑木清方らと型の研究や劇評をしたり、素人芝居では座頭(ざがしら)格として活躍、『勧進帳』の弁慶で評判をとったこともある。初代中村吉右衛門一座に入ってからは脇役に終始したが、同輩の初代中村吉之丞や六代目市川團之助ほど小手の利く芸でなかった代り、両者に求められない品格があったのは、育ちを示すものといわれた。
昭和の初年に傑作とされたのは、岡鬼太郎作の『眠駱駝物語』で務めたらくだの死骸の役。その後は『一條大蔵譚(いちじょうおおくらものがたり)』の「桧垣茶屋」で茶亭与市、『極付幡隨長兵衛』の慢容上人などに定評があり、若手歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』で演じた斧九太夫、『東海道四谷怪談』の伊藤喜兵衛なども好評だった。
書画や俳句にも長じた趣味人でもあった。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
葭町の料亭「百尺(ひゃくせき)」の三代目主人の次男として生まれる。芝居好きが高じて大阪に行き、初代中村鴈治郎のもとで中村扇玉と名乗り舞台に立ったが、あまり続かず小芝居や旅回りに出る。その後以前から縁故のあった初代中村吉右衛門の一座に入り、大正9年劇通の援助を受けて、2月市村座『寿対丹前』で五代目中村七三郎を襲名、名題昇進。
著書・参考資料
没後昭和43年7月に『七三郎句集』(中村七三郎著、中央公論美術出版)が出版される。