中村 四郎五郎 (7代目) ナカムラ シロゴロウ

本名
植田孝男
屋号
中村屋
定紋
角切銀杏
生没年月日
昭和6(1931)年02月06日〜平成19(2007)年04月22日
出身
東京

プロフィール

 二代目中村小山三は別格として、中村屋一門にあって二代目中村千彌、二代目中村源左衞門と共に十七代目・十八代目と2代の中村勘三郎に仕えた古参の門人だった。昭和1桁の生まれ、戦後まもなくの入門という舞台歴も共通している。とりわけ源左衞門とは下廻りの頃から駕籠かき役の相棒をつとめた間柄で、名題昇進も一緒だった。

 前名の三代目中村清五郎(せいごろう)から四郎五郎と改名した昭和51年4月の歌舞伎座といえば、江戸歌舞伎350年を祝う猿若祭で、十七代目はその栄華の極みに立ち、十八代目が弱冠20歳で『鏡獅子』を初演した記念すべきエポックだったが、源左衞門が前々名の五代目中村山左衛門から四代目中村助五郎へ改名したのも同時で、それから以降が元気の盛り、ファンにも最もなつかしい時代である。おでこの大きい目ぢからの強い助五郎に、のんびりと鷹揚な四郎五郎は、好対照が微笑を誘い、中村屋の芝居のムードを醸成するのにひと役買っていた。
 
 こうした四郎五郎の持ち味が役と渾然となった傑作といえば、何と言っても『法界坊』の白髭鳥居前で、お組を空駕籠の中に隠したところへ桜餅の籠をぶらさげて一杯機嫌で通りかかって巻き込まれる道具屋の市兵衛という役で、四郎五郎の如何にも人のよさそうなのんびりムードが、駕籠と菓子折が大きさは違え同じ形をしているところから「〆子の兎さ兎さ」と唄いながら縄でぐるぐる巻きにするシュールなおかしみを倍増させた。『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』のいじめの官女で、いかつい官女たちの中にひとりとぼけたムードの四郎五郎が混じるのも絶妙であった。

 源左衞門が改名間もなく病を得て逝った後を追うように世を去ったのは因縁というべきか。

【上村以和於】

経歴

芸歴

四代目中村もしほ(十七代目中村勘三郎)に師事し、昭和23年4月南座『喜撰(きせん)』の所化で中村たかほを名のり初舞台。昭和25年1月東京劇場で中村仲三郎と改名。昭和39年7月歌舞伎座『偲草姿錦絵』八重桐廓噺の腰元お歌・祭りの若い者清五郎で三代目中村清五郎と改め、名題昇進。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。昭和51年4月歌舞伎座『弥栄芝居賑』の太鼓持千代介ほかで七代目中村四郎五郎を襲名。

受賞

昭和42年9月『加賀見山再岩藤(かがみやまごにちのいわふじ)』の中間(ちゅうげん)市助ほかで国立劇場特別賞。昭和46年9月『東海道四谷怪談』の道具屋市兵衛で国立劇場奨励賞。平成4年第11回眞山青果賞助演賞。平成7年12月『将軍江戸を去る』の久保三弥の隠居、『野崎村』の駕舁で歌舞伎座賞。平成10年第18回眞山青果賞奨励賞。平成13年第7回日本俳優協会賞。平成15年6月『与話情浮名横櫛』の噺家五行亭相生で国立劇場優秀賞。

舞台写真

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