阪東 寿之助 (2代目) バンドウ ジュノスケ
- 本名
- 川口清太郎
- 屋号
- 豊田屋
- 定紋
- 丸にかたばみ
- 生没年月日
- 明治42(1909)年02月22日〜不明
- 出身
- 京都
プロフィール
昭和3年、19歳で二代目阪東寿之助と改名し、直ぐに松竹下加茂撮影所に入り、『若衆髷』に主演し、続いて衣笠貞之助監督の野心作『十字路』で好演し、美貌の前髪役者として注目される。以後、1年早く映画入りをした林長二郎(後の長谷川一夫)と下加茂の二枚看板として多くの時代劇に主演する。昭和6年、関西歌舞伎に復帰するが、わずか3年間に30数本に主演した人気者であった。
その後は、師三代目阪東寿三郎のもとで、着実に地歩を築き、戦後も寿三郎主演の新作物で目立つ役を受け持ち、古典でも二代目實川延若の『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)』「引窓」の三原伝蔵、同じく『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』ではからみ四天で起用されるなど、重要な脇の諸役を勤めていたが、昭和22年の末から、関西歌舞伎の連名に名は見られなくなっている。やがて東宝に入社し、映画や東宝歌舞伎に出演する。昭和40年、第1次伝統歌舞伎保存会会員に認定され、国立劇場の歌舞伎公演にも3度出演しているが、松竹の歌舞伎の舞台を踏む年はなく、ついにその本領を発揮することは無かった。
【奈河彰輔】
経歴
芸歴
三代目阪東寿三郎に入門、大正5年5月大阪・浪花座『毛谷村』の八十松で阪東ゆたかを名乗り初舞台。昭和3年1月二代目阪東寿之助と改名。昭和3年松竹下加茂撮影所に入り、衣笠貞之助監督の映画『十字路』に出演、その後映画に多数出演するがまもなく舞台に復帰。昭和13年1月中座で幹部昇進。戦後は東宝に移り東宝歌舞伎や映画、国立劇場の歌舞伎公演に出演。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和48年10月引退。