中村 竹三郎 (初代) ナカムラ タケサブロウ
- 本名
- 邑井道一
- 俳名・舞踊名
- 俳名は鬼玉
- 屋号
- 成駒屋
- 定紋
- 祇園守に竹の字
- 生没年月日
- 明治15(1882)年09月03日〜昭和30(1955)年04月22日
- 出身
- 東京・浅草向柳原
プロフィール
長く宮戸座・神田劇場・大国座などで座頭(ざがしら)として活躍。『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』の六助、『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』の熊谷、『御所桜堀川夜討』の藤弥太、『鎌倉三代記』の佐々木高綱などの時代物のほか『法界坊』も得意にしたという。大正初期には宮戸座の連鎖劇に出演したこともあった。
昭和23年ごろから大歌舞伎に復帰、『近江源氏先陣館』の北條時政、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の山名宗全、『黒手組助六』の白酒売、『仮名手本忠臣蔵』の九太夫など、大きな押出しで、多少過剰気味ながら達者な芸を見せている。昭和25年からは主として菊五郎劇団と行動をともにし、中芝居時代の豊富な経験による、型に詳しいベテランとして重宝がられた。昭和30年3月歌舞伎座で二代目尾上松緑が初役で『熊谷陣屋』の熊谷を演じたとき、旧師ゆずりの「芝翫型」を伝授し、その翌月に他界している。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
講談師邑井一の子。明治23年五代目中村歌右衛門に入門し、明治25年春木座で中村福雀を名乗り初舞台。明治33年中村芝歌蔵と改名。明治36年師匠とともに上方の舞台に出演、明治38年東京に戻る。明治40年6月歌舞伎座『十二時会稽曽我』の竹沢官藤次などで中村竹三郎と改名、名題昇進。