坂東 橘 (初代) バンドウ タチバナ
- 本名
- 岡野文男
- 屋号
- 橘屋
- 定紋
- 三ツ足橘
- 生没年月日
- 大正15(1926)年01月28日〜平成19(2007)年12月19日
- 出身
- 東京
プロフィール
二重瞼の大きな目、ちょっとつきだすような口元、下ぶくれの可愛らしい女形。
生家は東京日本橋三越真ん前の三味線屋。芝居好きが高じて、当時人気花形・九代目市川海老蔵(のち十一代目團十郎)の弟子となった。市川升弥を名のり『御所五郎蔵』の新造で初舞台を踏んだのが20歳の秋。7年を経て市川恵美次と改名、名題の列に加わった。師匠の活躍について時代、世話、新作と多くの舞台を経験したが、どちらかといえば世話物の町娘や長屋のおかみさんが似合っていた。
傾倒した師・團十郎の歿後、十七代目市村羽左衛門の元へ移り、坂東橘と改名。以降40年余り、羽左衛門門下では珍しい女形として一筋に仕え、菊五郎劇団の貴重な存在となった。
舞台も私生活も楽しみながら過ごすのが信条と聞いた。そのためか、「私が私が」というところがないので芸風はあっさりしていた。が、新造や女房でこの優が並んでいるとなんとなく舞台の納まりがよかった。『与話情浮名横櫛』なら「木更津海岸」の浜の娘か女が持役だったが、「源氏店」の女中およしに扮した姿をみたかったと思わせた。
晩年は病気がちだったとも聞いたが、江戸の昔なら町内に1人位はいた、気のいい商家の若旦那を地でゆく一生だったのではなかろうか。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
十一代目市川團十郎に入門、昭和22年6月三越劇場『御所五郎蔵』の新造で市川升弥を名のり初舞台。昭和29年10月歌舞伎座『絵島生島』の中老吉川などで市川恵美次と改名し、名題昇進。師の歿後、昭和41年から十七代目市村羽左衛門門下となり、1月歌舞伎座『恋女房染分手綱』の腰元桔梗ほかで坂東橘を名乗る。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。
受賞
昭和59年11月『北洲霊異』の亡霊お染狸で国立劇場奨励賞。