坂東 田門 (3代目) バンドウ タモン

本名
深川吉之助
屋号
大和屋
定紋
のし丸
生没年月日
大正2(1913)年12月13日〜昭和62(1987)年09月21日
出身
東京都

プロフィール

七代目澤村宗十郎門下から十四代目守田勘弥一門に移り、いまの坂東玉三郎を育てた人である。坂東弥五郎とこの人が喜の字屋の高弟で、御神酒徳利だった。勘弥が国立劇場の開場当時に『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』や『御所五郎蔵』の通しで改めて注目された当時、その脇を固め、若い玉三郎が皆鶴姫や時鳥を好演した陰にはこの人の大きな支えがあった。庶民的な温かい雰囲気で、世話好きな長屋のおかみさん役がよく似合っていて、『切られ与三』「源氏店」の下女およしや『東京の昔話』の芸者役など、世話物のわきの女形がとくにすぐれていた。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

10歳の時七代目澤村宗十郎に入門、大正13年9月澤村宗丸を名乗り浅草・公園劇場『黒手組助六』の禿で初舞台。師匠の子訥升(八代目宗十郎)が養子として市川松莚の名で市川左團次家へ行った時に同行して市川松代と改名し、その後紀伊国屋へ復帰した時に澤村訥記代と改名。昭和16年10月歌舞伎座『桐一葉』の腰元紅葉で三代目澤村藤橘を襲名、名題昇進。昭和28年9月歌舞伎座『極付幡随長兵衛』の腰元で四代目澤村門之助を襲名。昭和36年1月十四代目守田勘弥一門に移り歌舞伎座『吉原狐』の芸者おちょうで三代目坂東田門を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第一次認定を受ける。

舞台写真

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