坂東 鶴右衛門 バンドウ ツルエモン

本名
伊藤重五郎
屋号
音羽屋
定紋
鶴の丸、八重かたばみ
生没年月日
明治19(1886)年02月15日〜昭和47(1972)年05月30日
出身
岩手県

プロフィール

青森から上京して四代目岩井松之助門下の内弟子になっていた岩井杜久松の時代、台所の用ばかりさせられて舞台に出して貰えないのに辛抱できず、16歳のとき飛び出して旅役者になった。中村君太郎一座をつくって座長を務めたが、大磯で六代目坂東彦三郎に逢って大歌舞伎に戻るよう勧められ、その門下となっている。彦三郎没後は六代目尾上菊五郎一座、さらには菊五郎劇団の一員として俳優生活を続けた。すでに舞台では仕出し、居並び程度の役しか務められなかったが、円満な人柄は周囲の誰からも愛されていた。昭和30年代から舞台を離れることが多かったが、律儀な性格のため、劇団の公演には毎回必ず参上して挨拶するのを怠らなかったという。

長く平塚に在住、街に尽した功績により昭和39年には平塚市長から表彰状を受けている。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

明治29年3月根室・根室座で中村君三郎の弟子として中村君太郎を名乗り初舞台。明治31年1月中村君三郎と四代目岩井松之助が青森で同座し、ゆずり弟子として松之助の門下となり、岩井杜久松と改名。明治34年1月中村君太郎に戻って旅役者となり、所々方々に転々とした。明治43年5月浜松で中村君太郎一座をつくり座長となったが、大正12年9月六代目坂東彦三郎の勧めで大歌舞伎に戻って、その弟子となる。大正13年1月坂東鶴右衛門と改名、市村座に出演。昭和10年6月歌舞伎座で名題昇進披露。

受賞

昭和33年菊五郎劇団第1回表彰状。昭和36年10日本演劇協会感謝状。