坂東 利根蔵 (3代目) バンドウ トネゾウ

本名
橋口与平
屋号
大和屋
定紋
のし丸
生没年月日
大正5(1916)年05月28日〜昭和57(1982)年07月19日

プロフィール

父は四代目中村芝翫の弟子の中村雀三郎で、旅回りの一座の座頭(ざがしら)だったという。母は熊本の二本木の遊郭東雲楼の娘で、父が九州を巡業中に見初めて、駆け落ち同然で夫婦となったというから、利根蔵は生まれながらの旅役者であった。だから父の一座で子役をつとめたりして、芝居の中で育った。初舞台は『酒屋』の美濃屋のお通、芸名は中村児右衛門と名乗った。父が亡くなって生活に困り、早朝の納豆売りなど、どんな仕事でもやったという。学校にはほとんど行けなかった。12歳のとき、たまたま仙台に巡業に来た二代目河原崎権十郎に見込まれて内弟子になった。芸名を山崎撫子(なでしこ)と改め、権十郎に可愛がられ、東京の舞台に立つようになった。戦争中は皇軍慰問団として中国の前線をまわったこともあるという。戦後は十四代目守田勘弥の門弟となり、坂東利根蔵と改めた。ひと癖ありそうな古参の名題下として、長い下積みの芸歴を活かして、目立たない地味な役でもさりげない存在感を見せた。国立劇場の奨励賞を2度受けている。楽屋では自他ともに認める変人で通っていた。昔はこのような根っからの役者がいたのである。

【浅原恒男】

経歴

芸歴

大正9年『酒屋』の美濃屋のお通で中村児右衛門を名乗り初舞台。昭和3年8月二代目河原崎権十郎の一門に加入、山崎撫子と改名。昭和12年名題下になる。戦後十四代目守田勘弥の一門に移り、坂東利根蔵と改名。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。

受賞

昭和41年12月『菅原伝授手習鑑』天拝山の漁師、昭和43年11月『三姉妹』の虫売で国立劇場奨励賞。