市川 白蔵 (3代目) イチカワ ハクゾウ

本名
内島竜太郎(龍松とする資料あり)
屋号
三芳屋
定紋
八重桔梗、菱菊
生没年月日
明治34(1901)年01月05日〜昭和49(1974)年09月13日
出身
東京

プロフィール

三代目市川門三郎の名で戦中から戦後にかけて小芝居一座の座頭(ざがしら)として渋谷劇場や三軒茶屋の大宮館などに出演。関東・東京近郊では人気者だった。一座を解散したあと、昭和30年9月よりかたばみ座に加入し幹部の1人として活躍、映画にも多数出演した。昭和38年1月から大歌舞伎に復帰。昭和40年に師八代目市川團蔵に望まれて白蔵の三代目を名乗った。さすがに手練れの実力派で、端敵や老け役などでアクのある演技を見せ、芝居を面白くする存在だった。臭みは巧さでもある。脇にはこういうタイプも大切なのだ。

【秋山勝彦】

経歴

芸歴

父は七代目市川團蔵の門下だった市川松猿。七代目團蔵に入門し、明治38年5月本郷座『御所五郎蔵』の時鳥で市川三河松(みかまつ)を名乗り初舞台。ただし出生について本人の言(藤尾真一編「明治人に聴く」「演劇界」昭和47年12月号)によれば、上記は戸籍上の生年月日で、実際は明治38年の生まれだという。とすれば明治38年の初舞台はあり得ないし、『御所五郎蔵』の時鳥というのも、上記聞き書には記されているが、『東京の小芝居』(阿部優蔵著)によれば『ほととぎす』(新派狂言か)とあり、この方が信憑性があるが、確認はできず、幼時の経歴には疑問の点が多い。昭和10年5月明治座で三代目市川門三郎と改名し、名題昇進。師匠の息・四代目市川九蔵(八代目團蔵)とともに初代中村吉右衛門一座に所属したが、昭和19年から独立して一座を組み、渋谷劇場、大宮館、上馬劇場のほか、川崎、横浜などの小芝居に出演、一座解散後はかたばみ座で活躍、映画にも出演したが、昭和38年1月から大歌舞伎に復帰。昭和41年4月歌舞伎座における八代目團蔵の引退興行の際に團蔵が孫・市川銀之助(現・團蔵)のために復活伝授した『鬼一法眼三略巻』「書写山」で市原団平の役を務め、三代目市川白蔵を襲名。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。

舞台写真