尾上 梅十郎 (2代目) オノエ バイジュウロウ

本名
小林幸重
屋号
音羽屋
定紋
梅鉢、乱菊
生没年月日
明治42(1909)年10月24日〜昭和54(1979)年07月18日
出身
神奈川県

プロフィール

幼いころから子役に出ていたが、関東大震災で両親を失い、六代目尾上梅幸の弟子になった。27歳のとき師匠が亡くなって六代目尾上菊五郎のもとに引き取られた。その後、縁あって袋物の商家の番頭に転身し、やがて柳橋で店を構えた。店の名は師の菊五郎が菊重とつけてくれた。戦争が激しくなってからは、いろいろ苦労したあげく役者にもどり、師の子息の七代目尾上梅幸一門の名題下として、若い四代目尾上菊之助(現・菊五郎)の世話をすることになった。国立劇場の開場記念公演『菅原伝授手習鑑』の「加茂堤」と「車引」の牛で表彰されたり、梅幸の『与話情浮名横櫛』源氏店の権助でも賞を受けている。人生の転変にめげず苦労を表に出さない練れた人柄で、地味で目立たない役でも真面目につとめて、師匠や周囲からも信頼される人柄だった。

【浅原恒男】

経歴

芸歴

六代目尾上梅幸に入門し、大正14年5月帝劇で尾上重吉を名乗り初舞台。昭和10年代から戦後にかけて一時期廃業したが復帰。昭和32年10月歌舞伎座『一本刀土俵入』の桶屋などでで二代目尾上梅十郎と改名。昭和47年5月伝統歌舞伎保存会会員の第2次認定を受ける。

受賞

昭和36年6月歌舞伎座『人待つ女』(宇野信夫作)の金魚売りで作者から表彰される。昭和41年演劇奨励賞。昭和41年11月『菅原伝授手習鑑』加茂堤の牛の演技で、昭和44年4月『与話情浮名横櫛』の下男権助で、昭和47年11月『嬢景清八嶋日記(むすめかげきよやしまにっき)』の船頭で国立劇場奨励賞。