中村 秀十郎 ナカムラ ヒデジュウロウ

本名
鶴岡金太郎
屋号
播磨屋
定紋
揚羽蝶
生没年月日
明治30(1897)年07月29日〜昭和35(1960)年08月31日
出身
東京・神田

プロフィール

祖父は長者番付にも名を連ね、九代目市川團十郎の有力な後援者だったというが、父の代になって実家が没落したため、俳優を志し14歳のとき市川新十郎の門下になった。以後、新十郎、中村吉右衛門という二人の師匠に仕え、生涯を名題下で通した。俳優としては全く無名の存在だったが、昭和27年、雑誌「心」に千谷道雄筆『秀十郎芸談』が連載、これを増補した『秀十郎夜話−初代吉右衛門の黒衣(くろご)』(文藝春秋社刊)が昭和33年に出版され、同年度の読売文学賞を受賞するに及び、劇界の内外で注目されるようになった。吉右衛門劇団文芸部(仮称)の著者によるこの書は、下廻り60年に及ぶ経歴から、仕出し、馬の足、とんぼ返り、鳥の声、とくに黒衣の後見の苦心談などを克明に書きとめたもので、華やかな舞台の裏にひそむ影の世界を世に知らしめた。

「黒衣ってものは見物から見られちゃあまずうござんすね。早い話が、たとえば舞台に落ちてる糸屑ひとつ拾うにも、見物のそっぽを向いている隙を狙って動くようにする、そこがまず一番難しいってところでしょうか。」(『秀十郎夜話』より)

吉右衛門の没後は八代目松本幸四郎、十七代目中村勘三郎らのやはり黒衣の後見を務め続け、役らしい役はなかったが、最後は昭和35年6月、産経ホールにおける幸四郎主演の『オセロー』でヴェラ大公の議員の役。公演中に発病して病床に就き、2ヵ月目に永眠している。

【松井俊諭】

経歴

芸歴

明治44年市川新十郎に入門、市川斤五郎を名のり大正3年市村座『川中島』秋津島の仲間で初舞台。後に市川新太郎と改名。昭和4年新十郎の死去のあと、初代中村吉右衛門に師事し中村秀十郎と改名。

著書・参考資料

昭和27年雑誌「心」に『秀十郎芸談』として後見、馬の足、とんぼ返りの芸談が連載される。昭和33年芸談『秀十郎夜話−初代吉右衛門の黒衣』(千谷道雄著、文藝春秋新社)が出版される(平成6年冨山房百科文庫より復刊)。