市川 升寿 (初代) イチカワ マスジュ
- 本名
- 佐藤豊
- 屋号
- 成田屋
- 定紋
- 源氏輪つくね牡丹
- 生没年月日
- 昭和9(1934)年12月23日〜平成21(2009)年04月23日
- 出身
- 東京・中野区
プロフィール
形に影の添うように、成田屋の舞台には必ずこの優がいた。十一代目市川團十郎に入門して60年間、十二代目團十郎、現・市川海老蔵の芝居を支え、師匠番を勤めた。立役中心の一門のなかで目立つ女形だったが、舞台の行儀の良さが身についていて、ことに世話物で味を出した。十二代目團十郎が知盛、権太、忠信の三役を演じた『義経千本桜』で弥左衛門女房のお米、海老蔵襲名公演の『実盛物語』の九郎助女房小よしなどを受け持ち、大きめの目に表情をつくり、役のツボを心得た芝居を見せた。
後見役でも成田屋には大切な存在で、成田屋父子の国内の芝居、舞踊公演はもちろん、パリ・オペラ座の『勧進帳』の後見も勤めた。十二代目團十郎の『解脱』を収めたDVDでも歌舞伎の後見の仕事を語っているが、講師もできる知的な俳優であったと思われる。新派の『婦系図』で河野とみ子という気位の高い、ひと癖ある人物の輪郭を巧みに表現していたのも、自分で考える習慣を持った俳優の証しであった。そんな風貌を地下鉄の駅で何度か見かけたが、雑踏に紛れそうで、決して紛れない、確かな気配を感じさせた。
師匠番としても、十一代目の芝居をよく知る人だけに、祖父を尊敬する海老蔵には力強い支えであっただろう。第五期歌舞伎座新開場の『助六』のとき、楽屋に祖父、父の遺影と共に「升寿」と書いた木札を飾っていた。
これからも老け役で活躍する場があったに違いないが、平成20年11月新橋演舞場『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の小槙を演じて役者人生を閉じた。
【朝田富次】
経歴
芸歴
九代目市川海老蔵(十一代目市川團十郎)に入門、昭和24年5月新橋演舞場『源氏店』の小僧で市川升吉を名のり初舞台。昭和44年11月歌舞伎座『其小唄夢廓』権上の新造梅菊、『鬼一法眼三略巻』菊畑の腰元撫子で市川升寿と改め名題昇進。昭和49年4月伝統歌舞伎保存会会員の第3次認定を受ける。
受賞
平成15年第9回日本俳優協会賞。