尾上 松助 (6代目) オノエ マツスケ
- 本名
- 井上真一
- 俳名・舞踊名
- 舞踊名は藤間松樹
- 屋号
- 音羽屋
- 定紋
- 抱き若松
- 生没年月日
- 昭和21(1946)年07月13日〜平成17(2005)年12月26日
- 出身
- 東京都
プロフィール
昭和32年から33年にかけ漫画(武内つなよし作)を脚色したラジオ・ドラマ、テレビ・ドラマ『赤胴鈴之助』が子供たちの圧倒的な人気を博していたが、その主役の少年剣士鈴之助を演じたのが当時の名子役尾上緑也だった。33年8月には新宿松竹座(新宿第一劇場)で劇化上演されたが、このときも千葉周作役の三代目市川左團次ら菊五郎劇団の助演を得て、やはり鈴之助で主演している。
歌舞伎の舞台では終始二代目尾上松緑の膝下で修業し、松緑没後は劇団の中堅として幅広い役柄で現・尾上菊五郎を助けてきた。表情に新派の幹部俳優だった父を偲ばせるものがあり、よく通る声が特徴だった。尾上家に由緒ある名跡で、現代では名脇役の名として知られる松助を襲名してからはますます芸域を拡げ、『忠臣蔵』六段目の源六、『直侍』の丑松などのほか、『魚屋宗五郎』でかつて持ち役だった三吉から父親太兵衛に廻るなど、老け役までこなすようになっていた。
後進の面倒見がいいことでも定評があり、国立劇場の歌舞伎俳優研修でも講師の1人として尽力、とくに化粧の部門を担当していた。平成17年に入ると、ガンのために休演を余儀なくされたが、その闘病生活の間にも養成の授業を続けるという熱意を示したあと、11 月新橋演舞場の『児雷也豪傑譚話(じらいやごうけつものがたり)』の仙素道人の役で復帰。千秋楽まで務め上げたあとは再起叶わず、これが最後の舞台となった。
まだ働き盛り。まことに惜しまれる死だったが、長男の現・尾上松也が健やかに成長しているのがせめてもの慰めというものであろう。
【松井俊諭】
経歴
芸歴
父は新派俳優・春本泰男。昭和29年6月歌舞伎座『源氏物語』の薫の君、『南蛮寺門前』の常丸で初代尾上緑也を名乗り初舞台、二代目尾上松緑の部屋子となる。昭和46年5月歌舞伎座の「六代目菊五郎二十三回忌追善興行」で二代目尾上松鶴(しょうかく)(屋号京極屋)を名乗り名題昇進。昭和49年4月伝統歌舞伎保存会会員の第3次認定を受ける。平成2年5月歌舞伎座『御所五郎蔵』の五郎蔵をつとめ六代目尾上松助を襲名。
受賞
平成10年眞山青果賞。