坂東 三津三郎 (初代) バンドウ ミツサブロウ

本名
色川豊二
屋号
大和屋
定紋
三ツ大、かつみ
生没年月日
大正2(1913)年01月04日〜不明
出身
東京

プロフィール

子役から七代目坂東三津五郎の弟子となり、のち八代目三津五郎について上方に行き、大阪で名題に昇進した。戦後は東京にもどり、舞踊の心得があるので師の舞踊の後見もよくしていた。太めでどっしりした容姿で、猪首で豊頬に小さい目鼻、小さく分厚い唇を尖らせてせりふを言う姿に特徴があり、朴訥で生真面目な雰囲気の役者だった。素顔も生真面目な人だったようだ。時代物なら織物の裃を着けた敵役の武士、世話物なら『御所五郎蔵』の土右衛門門弟や長屋の住人、廓の若い者が似合っていた。八代目三津五郎の門下らしく、新歌舞伎でも技量を発揮し、『新平家物語』の郎党で賞を受けたり、眞山青果の『元禄忠臣蔵』でも「最後の大評定」の村松喜兵衛などを好演していた。晩年70歳を過ぎたころから病気がちで舞台を休むことが多くなり、75歳で廃業したのが惜しまれる。

【浅原恒男】

経歴

芸歴

大正9年4月市村座で坂東三津弥を名乗り初舞台。昭和16年7月中座で名題昇進。昭和22年1月坂東三津三郎と改名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。昭和63年廃業。

受賞

昭和27年10月大阪歌舞伎座『新平家物語』の忠盛の郎党で社長賞。昭和27年12月大阪市民文化祭奨励賞。

舞台写真

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