市川 女之助 (初代) イチカワ メノスケ
- 本名
- 栗原金造
- 俳名・舞踊名
- 舞踊名は藤間勘之輔
- 屋号
- 滝野屋
- 定紋
- 四ツ紅葉
- 生没年月日
- 明治41(1908)年03月05日〜平成2(1990)年06月25日
- 出身
- 東京
プロフィール
片岡少年劇出身だから芸歴は長い。大正始めに入座して、大正14年に当時の四代目市川男女蔵のちの三代目左團次に入門してから亡くなるまで、60年以上女之助の名で通した。
少年劇に入ったのもその整った顔立ちゆえにスカウトされたそうで、晩年でも面長で、中高、役者らしい顔だちだった。腰元や傾城に並んでいても一際古色がにじみ、いかにも歌舞伎とはこれなのだという美しさをただよわせていて芝居好きを嬉しがらせた。舞踊も得意で、『京鹿子娘道成寺』が上演されるとき、所化の踊りの稽古をつけるのはいつもこの人だった。
【小宮暁子】
経歴
芸歴
大正4年7月片岡少年劇へ入座、駒形劇場『曽我対面』の朝比奈で片岡千恵丸を名乗り初舞台。大正14年四代目市川男女蔵(のち三代目左團次)に入門し初代市川女之助と改名。昭和3年4月明治座『塩原多助』の女房おうめで名題昇進、六代目尾上菊五郎が口上を述べている。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。
受賞
昭和63年第25回俳優祭にて日本俳優協会より功労者表彰。