坂東 弥五郎 (2代目) バンドウ ヤゴロウ

本名
舘岡明
屋号
大和屋
定紋
のし丸、喜丸
生没年月日
明治42(1909)年10月30日〜平成11(1999)年02月08日
出身
東京

プロフィール

十三代目守田勘弥に入門し、途中寄道はあったが十四代目勘弥一門に復帰。同門の女形三代目坂東田門とともに現・坂東玉三郎を支え、守田家の長老格だった。小柄で痩身。なんともいえない身軽さで、『法界坊』の番頭長九郎、『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)』源氏店の藤八など、髷の型から”眼がね”と俗称される手代敵(てだいがたき)の、小ずるいけれど滑稽な番頭役に腕を発揮した。また十七代目中村勘三郎がお岩を演じた『東海道四谷怪談』で宅悦を務めたが、相好の醜く変わったお岩をこわがる演技の妙が、主役を助けていた。晩年では『雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち)』のそばやの亭主仁八が、江戸もはずれの上等とはいえないそばやの風景に、ぴたっとはまって生活観がにじみでていた。素人の芝居好きが嵩じて脇役の人生を生きてきた貴重な人だった。

【小宮暁子】

経歴

芸歴

大正7年十五代目市村羽左衛門の門下だった二代目坂東家太郎の弟子となり、大正9年7月東京麻布・南座『桔梗旗揚』の小坊主で坂東家東を名乗り初舞台。昭和3年1月十三代目守田勘弥に入門し坂東太喜蔵と名乗る。昭和17年4月東劇『土俵物語』(川口松太郎作)の呼出し弥吉で坂東弥次郎兵衛と改名し、名題昇進。昭和 18年七代目澤村宗十郎に入門し、澤村源五郎と改名。昭和28年9月歌舞伎座『極付幡随長兵衛』の中間市助などで二代目澤村宗五郎を襲名。昭和36年1月十四代目勘弥の門に復帰し、『白浪五人男』の番頭などで二代目坂東弥五郎を襲名。昭和40年4月伝統歌舞伎保存会会員の第1次認定を受ける。

受賞

昭和58年12月『仮名手本忠臣蔵』六段目の判人源六で歌舞伎座優秀賞。昭和63年第25回俳優祭にて日本俳優協会から功労者表彰。平成元年1月『天衣紛上野初花』の仁八で国立劇場優秀賞。松竹社長賞。平成8年11月文化庁長官より表彰される。

舞台写真