襲名

先人の名跡を継ぎ、名前と芸を継承してゆくことで、当然ながら襲名により芸と格が一段と向上して、その名跡にふさわしい役者に成長することが、観客はもちろん劇界の願いです。しかし1つひとつの例を挙げるまでもなく、多くの歴史がすでにその成果を証明しています。襲名に際しては「家」や「世襲」といった言葉が思い浮かぶかもしれませんが、いま中心的な存在になっている歌舞伎の家柄は、大まかにいえば明治以降に輩出された名優たちによって形作られ、親から子へ、子から孫へとその芸が受け継がれてきた結果です。つまり江戸時代から続く特別な家柄があったというわけではありません。襲名は、血縁でなくとも、芸風や役者ぶりによってその名にふさわしい人が継ぐべきもので、時には埋もれていた名跡を復活する場合もあり、江戸中村座の座元の名跡を継いだ十七代目中村勘三郎、231年ぶりに大名跡を復活させた四代目坂田藤十郎などの例があります。

また襲名そのものは江戸時代から続いていますが、昭和の戦前まで「襲名興行」という言葉は見当たらず、興行名に襲名披露が謳われるようになったのは、歌舞伎座の例では1951(昭和26)年の「六世中村歌右衛門襲名披露」から、また「襲名披露口上」で大勢の俳優が舞台に並び、「お練り」などの襲名行事が賑々しく行われて文字通りビッグイベントとなったのは1962(昭和37年)の「十一代目市川團十郎襲名披露」以降といわれます。