劇団制
明治以降、多くの興行は「一座」や「劇団」といった単位で組まれていました。戦後も初代中村吉右衛門が率いる「吉右衛門劇団」が六代目中村歌右衛門、十七代目中村勘三郎、八代目松本幸四郎(初代松本白鸚)といった顔ぶれを擁して重厚な時代物を得意とし、一方、六代目尾上菊五郎の没後にその一座のメンバーで再結成された「菊五郎劇団」は七代目尾上梅幸、二代目尾上松緑、三代目市川左團次、そして九代目市川海老蔵(後の十一代目市川團十郎)を客演とし主に粋な世話物で人気を集めました。しかし次第に劇団の枠は取り払われ1965(昭和40)年前後から興行システム上の劇団制は取られなくなりますが、菊五郎劇団は偉大な六代目菊五郎を突然失いゼロから再スタートしたその当初からの結束が固く、今でも興行システムとは別の形で菊五郎劇団の名が存続し、歌舞伎界で単に「劇団」といえば菊五郎劇団を指す習慣が根付いています。