江戸歌舞伎・上方歌舞伎

江戸時代の歌舞伎は江戸と上方(京・大坂)で、それぞれ特徴をもった独自の発展を遂げてきました。最も代表的な例では初代市川團十郎が創始した「江戸荒事」、初代坂田藤十郎によって確立された「上方和事」といった芸風の顕著な違いがありますが、興行システムや演目の形態などにもそれぞれに特性が現れています。江戸では三座(中村座・市村座・森田座)の座元制が確立しているのに対し、上方では芝居小屋と興行元が別々に機能しやや複合的。また正月の初芝居の演目は江戸では「曽我物」を決まりとするのに対し、上方では「けいせい」の文字が必須であったというのもその1例です。

明治以降の近代になると九代目市川團十郎、五代目尾上菊五郎をはじめとする東京の歌舞伎が主として型を重んじる一方、初代中村鴈治郎をはじめとする関西歌舞伎では個々の芸にゆだねるといった風土が根付いてきました。現在は歌舞伎俳優の大半が東京在住で地域別の興行体制はとられていませんが、演目の選定はまさに東西交流、観客も常に江戸と上方両方の人気演目とその当たり役に接しているはずです。俳優も東西の枠を超えて広く芸の習得に励んでいます。